「やれやれ、またかあ……」
何度目の溜息だろう。
祐巳は目の前の光景に呆れつつ、同時に悟りを開きながら嘆息した。
「ちょっと瞳子さん、ドリルがさっきからちくちくと痛いんですけど」
「あら、それならあなたが席をお移りになったらいかが?可南子さん」
最初はこの程度だった。
いや、この程度って言うのも何かと思うのだけど、2人にしては大人しい口論だから。
それが今は。
「ちょっと、ドリルを回転させないでくださらないっ?!」
「ドリルドリルと煩いですわよっ!そっちこそ、その目障りな長身を何とかして欲しいものですわね!」
「何ですって?このドリル!」
「煩いですわ、でくのぼう!」
「「むむむむむ・・・・」」
もはや仕事もへったくれもない。
2人ともちゃんとやってくれれば私なんかよりずっと仕事できるのに、などと思いながらもここで宥めに入らなければいけないのが自分の立場。
何とかしなきゃと思いつつも、さっきから祐巳は隣のお姉さまにしぱしぱと目線でSOSを送っているのだけれど、何を勘違いなさっているのか頬を染めてでれ~っと見つめ返すばかり。
「はあ……」
仕方ない。
ここは自分で何とかするか、と祐巳が立ち上がりかけると、
「ごきげんよー、お手伝いの出前いかがっすかー」
階下から聞きなれた声。
内容は聞きなれないものだけど。
あと、口調も。
「蔦子さん、よね」
小首を傾げながら志摩子が不思議そうに呟く。
「出前って?」
「さあ。蔦子ちゃんのことだから、この状態を嗅ぎつけて手を打ってくれたんじゃないかな」
「この状態?」
「祥子……祐巳ちゃんに夢中なのはわかるけどさ、紅薔薇内のごたごたはちゃんと見ておいてよ……」
と紅薔薇さまと黄薔薇さま。
「とりあえず、行ってきます」
「あ、私も行くわ」
扉に手をかけた乃梨子を追って、由乃も立ち上がると2人は階下へと消えていった。
じゃあ、とばかりにここへ上がってくるであろう蔦子のためにお茶を淹れようと立ち上がる祐巳を制して、
「「あ、祐巳さま。お茶なら私が」」
見事にハモッた2人。
当然その後は、
「ちょっと、真似をなさらないでください!」
「ふん、そっちこそ。祐巳さまのお手伝いは私一人で十分ですわ」
「あら、あなたが流しに立ったら祐巳さまのスペースがなくなるのではなくて?」
「ご心配無用。そのドリルで祐巳さまのお体に傷つけるよりよほどマシですわね」
「なんですって?!」
「なによ?!」
「はあ……2人ともいいから座ってて。お茶は私が淹れるからさ」
今日何度目になるのか、もはやばかばかしくて数えるのもやめた溜息を更に大きくついて流しに向かう。
その背中に、「祐巳、私にもお願いね。祐巳ブレンドをホットで」という祥子の声に、心中で「そんなものありません、お姉さま」と答えながら。
「助っ人?」
「そう、助っ人」
「笙子ちゃんが?」
「そう、笙子ちゃんが」
「で、助っ人って?」
「ん?だから笙子ちゃん」
「いや、笙子ちゃんが何?」
「助っ人だけど?」
「どうして?」
「助けるため」
「誰を?」
「祐巳さん」
「私が何?」
「だから、助っ人必要でしょ?」
「助っ人?」
「そう、助っ人」
「だーーー!もうっ!いい加減そのうざい会話やめなさいよ!!」
蔦子と祐巳の間抜けな会話に由乃が焦れて雷を落とす。
きょとん、とする祐巳を他所に、あっさりと真面目モードに戻った蔦子が説明を始める。
「昨日、祐巳さんから薔薇の館の惨状を聞いてね。能力的な心当りもあったし、このいざこざも収められるかな、と思って」
「なるほど。じゃあ、彼女も……」
「ええ、祐巳さんの信奉者です、黄薔薇さま」
その言葉に、ぽっと頬を染める笙子に、平静でいられないのはもちろん、
「蔦子ちゃん?手伝いは嬉しいけれど、どうして祐巳の信奉者である必要があるのかしら?」
にっこりとお美しい笑顔の下で、ハンカチの惨殺死体を作る祥子に、
「そうですわね。信奉者は犯罪ぎりぎりのストーカーだけでお腹いっぱいですわ」
不機嫌を隠そうともしないドリ……瞳子、そして、
「その失礼な発言には後で報復するとして、不本意ながら私もお2人と同様、必要性を感じませんが?」
その類稀なる攻撃力を露にする可南子、の3人。
だがしかし。
そんなことで怯んでいては、一人前のパパラッチではない。
……いや、それはちょっと違うかも知れないけれど。
とにかく、怯む様子もなく蔦子は続ける。
「2人だから問題なんです」
「あの、4本立ってますが」
乃梨子の冷静な突っ込みにも動じず蔦子はびしっ、と4本指を立てて得意満面だが、周囲の人間にはとてもじゃないがそんな説明では何がなにやら。
「あの、蔦子さん?それが……」
「志摩子さん、わからないの?3人、いや3匹だったら問題ないのよ」
「ああ、そういうことね」
幾らなんでも、2人というのが自分たちのことだとはわかる可南子と瞳子は、もはや人間扱いされていないことにあからさまに不快感を表すが、薔薇さま相手に一歩も引かない蔦子には当然効き目はない。
そんな中、一人理解した様子の黄薔薇さまに皆の視線が集まる。
「令、何がわかったの?」
「いや、それは……」
ちら、と2人を見ながら、なにやら気まずそうな様子。
「何ですの?気になさらずに仰ってください」
瞳子の言葉にいかにも不本意そうに同意を表す可南子を見て、
「三竦み、でしょう?」
「正解です、黄薔薇さま」
肩を竦める黄薔薇さまと対照的に、得意げな蔦子。
「三竦み?」
「なるほどね……祐巳さんは知らないの?」
「うん、知らない。乃梨子ちゃんは知ってる?」
「はい。へびとがまとなめくじが睨み合うと、お互い牽制しあって動きが取れなくなることですよ、祐巳さま」
「へえ。そうなんだ」
「しかも瞳子ちゃんと可南子ちゃんだとお互い天敵同士、相手を知り尽くしているから争いにも終わりがないし牽制どころか直接攻撃になってしまうけれど、そこに新しい要素を入れてこの2人に対する牽制にもできるということね」
「その通りです、紅薔薇さま」
皆は一様に得心した表情でいるが、2人にとっては面白くない。
「瞳子はこんな犯罪者といがみあう程子供じゃありませんわ!」
「誰が犯罪者ですって?生きていることを後悔させてあげましょうか?」
再び、舌戦勃発。
「まあ、牽制どころじゃないのは確かですよね、この2人の場合」
「乃梨子ちゃん、同じクラスなんだから少しは止めようとか思わないわけ?」
「そう仰る由乃さまこそ、楽しんでいらっしゃるじゃないですか」
「まあ、苦労するのは祐巳さんだしね」
「ひどい、由乃さん……」
「ああ祐巳……そんな悲しそうな顔をしないで。ほら、ケーキがあるわよ」
「祥子、まずはこっちの方を解決しようよ……」
てんでばらばらに会話を始める山百合会メンバー。
ていうか、この喧嘩を止めなくてもいいのだろうか。
「あの、ご迷惑でしたら、私……」
混沌と戦気に満ちた薔薇の館に、控え目な声が発せられる。
「まあまあ、そう言わず。祐巳さん、どう?」
「蔦子さんの推薦でなくても、笙子ちゃんなら大歓迎だよ」
にっこりと微笑む祐巳に当てられたか、ほ~、と言う溜息に包まれる会議室。
笙子は真正面にそれを受けて、頬を染めて俯いている。
「あの、どうしたの、笙子ちゃん?」
心配そうな祐巳に、慌てて顔を上げると、
「あっ、いえ何でもありません。それより祐巳さま、ほんとうにいいのですか?ご迷惑なんじゃ……」
「そ、そうよ、私はもちろん歓迎しますけど、祐巳さまのご迷惑になったらいけないですわね」
「私は祐巳さまの決定に従いますが……ただ、笙子さんのお時間を頂くのは申し訳ないですね」
さり気なく断らせようとする瞳子と可南子。
そして、
「私は寧ろ、この世に祐巳ひとりだけでもいいのだけれど」
「ちょっと黙ってて、祥子。これ以上山百合会のイメージを崩さないように」
祐巳しか目に入っていない祥子の不穏当な発言を令が戒める。
「私は賛成。面白そうだし。乃梨子ちゃんは?」
「人手は多いほうがいいですね。笙子さんなら即戦力になりそうですし」
由乃の無責任な発言に、「お姉さまの遺伝が……」と頭を抱えるのはやっぱり黄薔薇さま。
が、そんな周囲の反応に祐巳が気づくはずもなく。
笙子の傍によって両手を取ると、
「迷惑なんて、そんなことあるわけないじゃない。嬉しいな、笙子ちゃんと毎日一緒にいられるなんて」
「ゆ、祐巳さま……」
祐巳としては、全く他意はない。
というか、そんなことを考えられるのなら、「天然の薔薇さま」なんて名誉なんだか不名誉なんだかわからないようなあだ名は付けられていない。
「……祐巳さまもある意味無責任ですよね」
「……そうだね。由乃のは第三者的な無責任だけど、祐巳ちゃんは思い切り当事者だもんね」
と言いつつも、令と乃梨子がちらと横目で確認すると、蔦子の思惑は見事に当たったようだった。
瞳子と可南子は、祐巳が歓迎と言った以上、無用な反対をして心象を悪くしたくないようで。
納得いかなさそうな目つきで祐巳と笙子を恨めしそうな目つきで見ている。
ただ、「祐巳さまの目の前で毎日見苦しい口げんかしておきながら、今更心象もへったくれもないんじゃないか」という辛辣極まりない感想も持ったが、賢明な乃梨子は突っ込まないでおいた。
それは黄薔薇さまも由乃も同じらしく。
由乃はいかにも何か言いたげに口をもごもごさせていたが、令の睨みで何とか言わずに済んでいる感じ。
嬉しそうな祐巳に、恥ずかしそうな笙子。
そして抗弁できない瞳子と可南子。
うん、これなら上手くいきそうだと感謝の言葉をかける令。
「ありがとう、蔦子ちゃん。大成功……どうしたの?」
ところが、得意満面だと思った蔦子の表情は優れなかった。
いや、優れないというよりは、「あちゃー」が近いかも知れない。
「大成功じゃないの?蔦子さん」
気づいた由乃も声をかけるが、蔦子の返事には申し訳ない、という調子が含まれたものだった。
「いやあ……三竦みにならなかったわ」
「「「??」」」
令、由乃、乃梨子の3人は疑問符を浮かべて蔦子を眺める。
尋ねたいことはわかっていたが、答える気力もなくして蔦子は一画を指差した。
びりっ!
「「「あー……はあ」」」
納得と溜息を同時に表す30154;。
そこには、まるで新婚あつあつの姉妹であるかのような雰囲気を醸し出す祐巳と笙子を睨みつけながら、わなわなと震える祥子がいた。
「祐巳っ!!」
「ひゃっひゃい!お、お姉さま……?」
「あなたは私の傍にいればいいのよ!」
「ちょっと待ってください紅薔薇さま。それは横暴です」
「何ですって?!」
「祥子お姉さまに対して、失礼ですわよ!」
「ちょ、ちょっと3人とも……」
「それに笙子ちゃん?あなたも調子に乗らないで頂戴!」
「私は……祐巳さまのお役に立ちたいだけです。紅薔薇さまに言われる筋合いはないと思います」
「そうです!紅薔薇さまは祐巳さまを独占し過ぎです!」
「可南子さん、口が過ぎましてよっ!」
「あ、あのあの、3人とも私の話を……」
「「紅薔薇さま横暴!!」」
「「きーーーーーー!!」」
再び戦乱の渦に巻き込まれていく薔薇の館。
「すいません、黄薔薇さま。紅薔薇さまがこうなることを失念していました」
「蔦子ちゃんのせいじゃないから、気にしないで。それにしても……」
ちらっと喧騒を見ながら、
「笙子ちゃんって」
その言葉に頷きながら、由乃が引き継ぐ。
「ほんと。控えめな祐巳さんファンだと思ったけど、まさか祥子さまにああまで強く言い切るなんてね」
「それだけ祐巳さまが好きだってことなんでしょうか」
笙子の意外な強気に、口々に感想を言い合う3人。
総括は蔦子だった。
「ほんと、お人形さんみたいな可愛らしさはなんだったんだろう……」
そして4人は再び、盛大に溜息をついた。
「瞳子ちゃん!この思いあがりどもに、引導を渡すわよ!」
「ええ、祥子お姉さま!祐巳さまは渡しませんわ!」
「返り討ちにしてあげるわ、瞳子さん。これであなたとの因縁も断ち切ってみせる!」
「望むところです、紅薔薇さま!1話しか出番がなくても主役になれるということを証明してみせます!」
「ひ~ん、みんな、私の言うことも聞いてよー」
「志摩子さん?」
さっきから深刻な表情で黙り込んでいた姉に、乃梨子は心配して声をかけた。
「どうしたの?元気ないよ。確かにこの惨状じゃ、これからが心配だってのもわかるけど……志摩子さんが元気ないと、私まで悲しくなるよ」
その声にようやく顔を上げた白薔薇さまは、
「乃梨子」
と、凛とした声で呼ぶ。
「し……お姉さま?」
「結局、誰がなめくじなの?」
「……それを悩んでたんかい」
「へびが可南子ちゃんだというところまではいいのよ」
「いや、誰もそんなこと言ってないし」
「がまは、ドリガエルって種類もいるそうだし」
「そんなのいないから」
「でも、なめくじが祥子さまなのはどうよ?」
「どうよじゃねぇよ」
「だったら笙子ちゃん、みたいな?」
「聞くなよ」
「でも、それも腑に落ちないわ」
「頼む、もう喋るな」
「それじゃあまるで、ぱよっぱよのまほろさんみたいじゃない」
「……ぜんっぜん意味わかんねぇよ」
訳の分からない姉に、乃梨子は天を仰いだ。
「ああ……桜の下で儚げに佇んでいたお姉さまはなんだったんだろう」