ゴロンタの憂鬱




我輩は猫である、とそう始めたのかどうかわからないが、今日もまた代わり映えのしないゴロンタの一日は始まる。





朝。
日あたりの具合からこの時間は裏庭の公孫樹の下と決めている。
お嬢様とは言え、朝は何となく忙しない雰囲気がどうしても漂うもので、そんな時間の中に紛れることを猫の彼は潔しとしないのだ。
ところが。
この2年……いや、彼にとって2年という時間の概念があるのかすら怪しいが、この静謐を破るものが後を絶たなくなり、ゴロンタの憂鬱の元となっている。

「あ、あのこれ……紅薔薇のつぼみに渡して貰えないかしら」
気だるげに片目をうっすらと開けると飛び込んできたのは足だった。
それは4つ。人間というものは2本足で歩く非常に不便で珍妙な生き物だから、それが4つあるということは2匹の人間がいるということになる。
とまあ、そう思ったのかどうかもやっぱり怪しいものだけれど、とりあえずゴロンタはまたいつものように朝の静かな昼寝、いや朝寝タイムを邪魔されて憂鬱だった。
「あのですね、そういうのは直接本人に渡した方がいいんじゃありませんか?」
この声は知っている、と彼は思った。
何だっけか……いつも首からきらきらする大きなものをぶら下げて、まるで烏どもに狙ってくださいと言わんばかりの、
「それができないからお願いしているの、頼まれてくらないかしら、蔦子さん」
「上級生の教室ならまだしも、下級生の教室ですし、行き辛いということもないと思いますが……」
「でもほら、彼女に近づくと、ね」
「まあ、それはそうですが」
「だから、お願いっ」
「あ、ちょっと……って、はあ。ま、いいけど。受け取るとは思えないから、どうせコレも売り捌いて私のフィルム代の足しになるんだしね」
そう言って蔦子は初めて足元に寝転がるゴロンタに気づく。
「あらランチ。いたのね」
そう言いながらカメラを向け、カシャ。
うざそうにゴロリとそっぽを向くように体を動かす彼を気にする風でもなく、彼女は「これは幾らになるかな~」と上機嫌で去っていく。
ゴロンタはうっすらと開けていた片目をようやく閉じた。





昼。
薔薇の館近くの一本の木の下で、彼は昼食を待っている。
一昨年は髪の長い粗雑な感じのする少女が「ほれゴロンタ、飯だぞー」とか言いながら持ってきて、昨年は多分同じ少女だと思うが、少し明るくなった感じがしたのは髪を切ったからだろうか。
その彼女と一緒に髪を二つに結んだ、猫である彼ですら1分間に180回くらいの心拍数を記録して脱水症状を起こしそうな少女が食事を運んできてくれていた。
今年に入ってからは「ゴロンタ」と彼を呼ぶ唯一の存在であるその少女しか来なくなったが、それはそれで彼にとっては至福の時間であったのだ。
それが……
「祐巳さまー」
「お待ちになって、紅薔薇のつぼみー」
「どうか私の想いを受け取ってー」
「祐巳さま、祐巳さまー」
……まったくもって憂鬱だ。
「あっゴロンタ、ごめんこれ今日のお昼ねっ」
去年までは弁当箱を広げてお昼を出し、ゴロンタが口をつけるまでにっこりと微笑んで彼の脈拍を220まで上げた『しあわせな時間』が、今年はどうだ。
彼女は毎日40~50人ほどの生徒に追いかけられ、用意していた食事を走りがけにぽとりと落としていくだけとなってしまった。
憂鬱だけでなく、彼が一日の中で唯一怒りを覚える時間でもある。
だから彼は彼女のくれた昼食を大事そうに脇へ避けると立ち上がる。
「きゃっ!」
「ど、どうしたの……うっ」
「何よ、祐巳さんが行ってしまうじゃないの……って、やば……」
「お姉さま方、ちょっとおどきにな……ひっ」
追跡者たちの前に立ち塞がると、フーッと威嚇をひとつ。
しっぽを立て、歯をむき出して怒っているぞ、と。

急ブレーキから急旋回、そしてすごすごと引き下がっていく彼女たちの後ろ姿を見てからゴロンタはのっそりと食事の許へと歩みを進める。
もちろん、途中で木陰や茂みに隠れている他数十名の生徒たちへの威嚇も忘れずに。
まったくもって、憂鬱だ。




放課後。
元来、静かな雰囲気を好む彼ではあるが、放課後の活発な部活動の声を聞くこともまた好ましいことではあった。
日によって異なるが、クラブハウス、体育館脇、校舎の特別教室の窓枠、校庭の木陰。
様々な場所で彼は生徒たちの声をBGMに午睡を楽しむ……
「今日こそは決着をつけてさしあげるわ!」
「それはこっちの台詞です、そろそろ引退なさったらどうですか!」
「そうです!これだから文化系は。いつまでもご隠居が居座るのことはいい伝統とは言えませんね」
「何ですって、この筋肉少女!」
「きー!!」
これが部活動、というものなのだろう。
ここまでなら彼もさして気にはしない。
「今度こそ祐巳さまを我等テニス部がっ!」
「頑張りましょう、お姉さま方、祐巳さまは私たち文化連合のものですわっ!」
「科学研究部、準備はいいかしら?」
「陸上部、先制攻撃開始!」
「ガード!!合唱部、アレを!」
「ああっ部長!アレはっ」
「くっ……卑怯な」
「ほーっほっほっほ、どう、手芸部特製の子だぬきフラッグは!攻撃できるものならしてごらんなさい!」
「ここは合気道部に任せて!紅薔薇のつぼみは私たちのものよ!」
……紅薔薇のつぼみ、というのはあの、昼食をくれる少女らしい。
狸は嫌いではない、食肉目イヌ科だけれども。
だが、確か彼女は去年まで紅薔薇のつぼみの妹と呼ばれていたはずだ。
そう言えば彼が好んで食すハマチとか言うのもその時々で名称が違うらしいが、人間もそうなのだろうか。
そんなことを考えながら午睡を楽しもうと目を閉じた瞬間、爆発音が鳴り響き辺りに薬品の匂いが立ち込め、ボールに矢、筆やら花瓶などが飛び交う。
いつものことではあるが……やはり憂鬱だ。





夕方。
今日も憂鬱な一日だった。
それでも喧騒の一日は夕陽と共に終わりを告げて、ゴロンタにももうじき静かな夜が訪れる。
正門に続く並木道の途中、ぱらぱらと家路を急ぐ少女たち。
昼間の騒動というよりは戦いが嘘のように、穏やかな表情でマリア像の前で手を合わせ、夕陽に影を伸ばしながらゆっくりと足を家へと向ける。
彼女たちの影が身長の3倍にもなろうかと言う頃、ゴロンタの前を少女が2人、他の少女たちよりもゆっくりとした足取りで通り過ぎて行く。
特に言葉もなく、そのままマリア像の前で足を止めると並んで手を合わせる。

「何をお祈りしたの?」
「……ないしょです。お姉さまこそ」
「私?私は……ないしょ」
昨日と同じ会話。
一昨日も、その前も、こうして彼女たちはここで同じ会話を繰り返す。
けれども飽きたりそのことを指摘したりもせず。
ただ、顔を見合わせてクスリ、と笑うとどちらかともなく手を繋いで影を長く引く。
正門へ向かう足取りは軽く、けれど歩みは少しでもこの時間を繋ぎとめておくかのようにゆっくりと。
ゴロンタもまた、彼女たちと同じように幸せな夕暮れを満喫する。

「あら、メリーさん」
「違うわ令ちゃん。ランチよ」
「はいはい。もうその件で言い合うつもりはないよ」
せっかくの浸った時間を邪魔されるのは憂鬱だが、
「それにしても、似合いのカップルだね」
「祐巳さんと笙子ちゃんのこと?」
「うん」
「……そうね。ほんとに」
そして彼女たちもまた、2人で手を合わせて帰っていく。
先の2人とは違って、少しだけかしましく。




まったく、毎日が憂鬱だ。
「あら、ランチ。君もやっぱり祐巳さんと笙子ちゃんに妬いちゃうクチなのかな?」
最後にやってきたのは……そう、朝のアレだ、烏の的。
彼女は逆光にも関わらずカメラを構え、小さくなっていく2人に向かう。
けれどシャッター音が響くことはなかった。
そのまましゃがんでゴロンタの喉を撫で、
「私もね、君のように心の中だけに留めておこうって思う時もあるのよ。特に祐巳さんについてのことは、ね」
……朝の邪魔をされたというのに、夕方にも邪魔をされるなんてほんとに憂鬱だ。
まあ、彼女の言うことにはまったくもって賛成ではあるが。

「ふふ。何だかご機嫌そうね、ランチ」
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by rille | 2005-06-27 23:05 | まりみてSS
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