みて。







『視野が広くなる気がするんです』
『そうなの。……でもね、たまにはあなた自身の目であなたを見たら、また違った視界が広がるかも知れないわよ』
『私は私自身の目で見ているつもりですが……』





高等部に上がってから、私の周りは輝くようになった。
正確に言うと、祐巳さんと出会ってからだ。

「ねえ、どうして蔦子さんは私なんかの写真を撮るの?」
祐巳さん、あなたがそれを聞きますか。
まあ、いいけど。
「そうねぇ。……んー」
うーん、そんなにわくわくと期待に満ちた目で見られても。
何だか話しづらいなあ。

「祐巳さんはどうして祥子さまの妹になったの?」
「へ?」
聞き役のはずが、突然聞き返されたもんだから、祐巳さんってば目を白黒させちゃって。
そんなところも可愛いんだよね。
「妹になったのは、えーと、……んー」
ほら、同じような反応になるでしょう?
こんな風に誤魔化せるのは、放課後の教室で祐巳さんと2人きりだから。
これが休み時間で由乃さんがいた日には、「ダメよ祐巳さん、誤魔化されちゃあ」なんて言われるんだろうなあ。
そう思って苦笑していると、うんうん唸っていた祐巳さんがはっと顔を上げる。
と思うと、急に頬を染めて視線を外した。
「どうしたの、祐巳さん?」
「何でもない」
「や、何でもないようには見えないわよ」
ちゃんと返事しなかったから怒っちゃったかな?
でも、怒ってるようにも見えないけど。
「そ、そう言えばさ、昨日薔薇の館でね……」
話の逸らし方も下手だなあ、祐巳さんてば。
まあでも、何だか言い難いことでもあったみたいだし乗ってあげますか。





「あ、いけない。そろそろ帰らなきゃ」
授業が終わってからずっと話し込んでいたら、いつの間にか教室はオレンジに染まっていた。
薔薇の館には珍しく今日、誰も来られないらしく。
教室でカメラの手入れをしていた私に祐巳さんが質問を投げかけてから、のんびりと話し込んでしまった。
薔薇の館に行かない祐巳さんもそうだけど、私自身もシャッターを切らない放課後は初めてかも知れない。

夕焼け色に染まった教室。
いつも見慣れた風景のはずなのに、オレンジの海に沈みこんだみたいで私は胸が締め付けられるような思いに襲われた。
古びた教壇、静かに生徒たちを見つめてきた時計。
開いた窓から駆け込んで来て、教室の中を踊り、そして去っていく風。
何もかもが新しく、それでいて懐かしいような気持ち。
私は嬉しいのだろうか、それとも悲しいのだろうか。
そんなはずはないのに、何故か夕焼けの教室で幼い私が遊び、未来の私がそっと机に手を触れて佇む。
そんな光景がオレンジの波間に揺れて、消えた。

幻燈のように煌いて、一瞬のうちに去る。
そうして見上げた視線の先には、祐巳さんがいた。

「ふふ」
「どうしたの?蔦子さん」
「いや、ちょっと自分がおかしくなっちゃって」
「蔦子さんが?どうして?」
きょとんとする祐巳さんに、私は今日はチャイムが鳴ってから一度もシャッターを切っていないどころか、構えてさえいないことを話した。
「そう言えばそうだね。でも、それがどうして自分がおかしい、になっちゃうの?」
「うん」
そう言って私は椅子に背中を預ける。
ぎし、と軽い音が夕焼けに染まった教室に響いた。

「以前、蓉子さまと話したことがあったのよ」





『あら、蔦子ちゃん。ごきげんよう』
『ごきげんよう、紅薔薇さま』
『……蔦子ちゃんはほんとにカメラが好きなのね』
『え、ああ、すいません。つい構えちゃうんです。癖ですね』
『それは構わないけれど。……蔦子ちゃんはどうして写真を撮るの?』
『え?』
『あら、突然だったかしら』
『いえ、別に……そうですね、このカメラのファインダーには、もう私の視線が染み込んでいるというか。レンズ越しに見える風景の一瞬を、私の視線で切り取っておきたいんです』
『その時その時の真実を、って感じなのかしら?』
『そうですね。事実はひとつしかないですが、真実は沢山あると思いますから。その中で、私の真実っていうのを見つけたい、そんな気持ちです』
『それをあなたはカメラのファインダー越しに追い求めているのね』
『はい』
『それで、見つけることはできて?』
『いえ……私にとっての真実はまだ。でも、こうしていると視野が広くなる気がするんです。そうすればいつか、見つけられるかも知れないので』
『そうなの。……でもね、たまにはあなた自身の目であなたを見たら、また違った視界が広がるかも知れないわよ』
『私は私自身の目で見ているつもりですが……』
『蔦子ちゃんが言ったんでしょう?真実は沢山ある、って。ならその可能性はカメラだけにあるものじゃないかも知れないわよ』
『はあ』





「その時はよくわからなかったのよね。でも……」
カメラを目の高さまで持ち上げて、けれどファインダーを覗かずに私は祐巳さんを視界に納めた。
「今わかった気がする。私はこのフィルムに過去も未来も映しこんできたつもりだったけれど……」
カメラを膝の上に戻す。
祐巳さんは夕焼けに顔の半分を染めて、私を黙って見つめている。
「それは半分正解で。でも、もう半分は……。私は人のいる風景を切り取ってきたのね」
人のいる風景の過去と未来をも、シャッター音とともに刻んできた。
けれど、そこに私はいなくて。
私のこの輝いている時間は?
私の今、過去、未来は、カメラのファインダー越しには見つけられるものではなかったのだ。
大好きな人と穏やかに過ごす時間。
武嶋蔦子の視線で見る武嶋蔦子以外の光景を映し出すカメラから離れて。
そうして初めて。

そんな時間を過ごして初めて、私は祐巳さんと私のいる風景を、過去を、未来を見ることができたのだと。

それを蓉子さまは言いたかったんだ。

「ここに祐巳さんがいて。私はカメラを通さずに私たちを見て」
「だから蔦子さんは蔦子さんを見ることができたんだね」
「祐巳さん?」
意外だった。
さっきから黙っていたけれど、祐巳さんは私の言うことをちゃんと聞いてわかってくれた。
いや、きっと祐巳さんも同じ光景を見たのだろう。
視界の共有。
カメラを通していては絶対に叶わないことが、こうして祐巳さんと過ごす時間の中で得られたことが嬉しくて。
私は少しだけ視界をぼやけさせてしまった。

窓から入ってくる生徒たちの声が、少しずつ小さくなっていく。
オレンジの横溢する時間が近づき、穏やかに波が寄せるように教室を満たしていく。

時の匂いがする。
私はそう思った。

祐巳さんが私を夕焼けの中で見つめている。

ああ、そうか。
私はこんな時間、こんな自分、こんな風景を求めてカメラを構えてきたんだ。
私を見てくれる人。
私の大切な人が私だけを見つめてくれる時間。
大好きな人が私と時間を共有してくれる風景。

カメラを通してみたかったのではなくて。
私は私を見て欲しかったのだ。





「祐巳さん」

幸せな時間は過ぎ。
けれど、その時間を切り取らなかったことを、私はまったく後悔していなかった。
そして今なら。
私の言葉も祐巳さんの言葉も、どんなに短くてもそれは伝わる。

「うん」






廊下に出ると、教室と同じようにそこはオレンジの河だった。
その中を2人で並んで歩く。
階段を降り、玄関に向かう途中で、不意に祐巳さんが足を止める。
「どうしたの?」
もじもじと恥ずかしそうにしている祐巳さんに私が尋ねると、
「えと、あのね……」
「なに?」
しばらく悩んでいた祐巳さんだったが、意を決して、
「あのね、蔦子さんっ!」
「は、はい?」
思わず引いてしまう。
だが、そんな私に構わず、祐巳さんは私ですら忘れていた話題の答えを持ち出した。

「わ、私も蔦子さんのこと、好きだからっ」

「……へ?」
間抜けた声で答える私を置いて、拗ねたような仕草で横を向くとずんずんと玄関へ歩いていく。
「あ、ちょっと祐巳さん、待ってよ」
小走りに追いかけながら、私は頬に笑みが浮かぶのを抑えられなかった。

そう。
祐巳さんが祥子さまの妹になったのは、単に祥子さまが大好きだから。
私が祐巳さんの写真を撮るのは、祐巳さんが好きだから。

それだけなのだ、人間なんてきっと。
でも、そんな単純な私たちが、私は大好きなのだ。
もちろん、祐巳さんも。

追いついた私の手を取って、
「もう言わないからねっ」
そんな祐巳さんが可愛くて。
私も思わず照れ隠しに握った手にぎゅっと力を込める。
「わかってるわよ」





私だけを見て欲しい。
私だけを思って欲しい。

それはとても我が侭だけれど。
とても素直な。




人の想い。





夕焼けの中。
仲良く手を繋いで帰る2人を、マリア様だけがみていた。
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by rille | 2004-09-14 01:04 | まりみてSS
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