2日遅れの。

※続き、というほどでもありませんが、できれば『ちょっと遅めの。』を先にお読みいただくことを推奨いたします。






「メリークリスマス、祥子」
「メリークリスマス、お姉さま」
そう言ってから2人、目を合わせてクスリと笑う。
「間の抜けた挨拶だけれど」
蓉子はそう言ってから店内をぐるりと見回す。
一昨日までは赤と緑の装飾で溢れていた店内も、今はいつもの茶系でまとめられたシックな雰囲気に戻っている。
K駅からここに来るまでの大通りでもクリスマスソングなんて流れていなかったし、街も人も、すっかり年末年始の準備と慌しさに包まれているような気がした。
祥子も同じように一通り店内を見渡して、カップに口をつけた。

「でも、祐巳ちゃんらしいわね。いえ、祥子らしくもなった、と言った方がいいかしら」
「どういうことですか、お姉さま?」
蓉子はそれにすぐには答えず、コーヒーを口に運ぶ。
香りが鼻腔をくすぐり店の雰囲気と相まって、ウィンドウの外とは隔絶した落ち着いた気分にさせる。
久しぶりに入ったが味はまったく変わっていないようだ。
マスターがカウンターの奥で豆を挽く音を聞きながら、
「肩の力が抜けて、いい感じになったということよ」
「……そうでしょうか?」
「ええ、そうよ。今までの祥子なら何がなんでも25日に拘って、そのうえやたらと高級な店でディナーを、なんて考えたでしょう?いつかのように」
蓉子の言いたいことはすぐにわかった。
夏前、祐巳と仲直りできた御礼に郊外のレストランに招いたことを指しているのだろう。
「あれはあれで楽しかったけれど。祐巳ちゃんの可愛らしい正装も見られたことだし」
思い出すかのように笑う。
そう、どこかのお嬢様のように着飾られた祐巳はとても愛らしくて。
祥子のようにぴったりと雰囲気が重なっているのではなく、どこか間の抜けた感じが祐巳の可愛らしさを引き立たせていた。
「まあお姉さまったら。ここはお気に召しませんか?」
祥子ももちろんわかっているのだろう、口調は柔らかく言葉とは裏腹に責める音調はまったくない。
「いいえ。いいと思うわよ。そのジーンズも、似合ってるわ」
「ありがとうございますお姉さま。このジーンズは……祐巳に選んでもらったものですのよ」
「あら、そうなの?あなたがジーンズを穿いている姿なんて初めて見たから、最初は誰だかわからなかったわ」
「それで複雑な表情をされていたんですね……」
なるほど、と言った風に祥子は頷いた。
待ち合わせのK駅改札で見かけて挨拶した時、蓉子がまるで「あなた誰?」とでも言いたげな表情を一瞬見せたことを見逃していなかったのだろう。
「でもね、そういう格好も本当はあなたなのよね」
「え?」
言いたいことがわからず、今度は祥子が複雑な表情を浮かべる。
「張り詰めたままで生きていける人間なんていないわ。あなたは今まで……これは祐巳ちゃんが言っていたことだけれど、常に何かと戦っていたから。それも祥子なのかも知れないけれど、祐巳ちゃんと出会って力を抜いているのも、また本当の祥子なんじゃなくて?」
「そう、ですね……ええ、祐巳はほんとうにいい妹ですわ」
「ふふ、あなたにとっては最高の妹よね」
「私の祐巳ですもの」
「あらあら言ってくれること。宇宙人の祥子も、変われば変わるものね」
「……なんですか、宇宙人というのは」
「知らないの?地球以外の惑星や宇宙空間に生息する……」
「そんなことを聞いているのではありませんわ」
ちょっと眉を顰めて不満を表す妹に、蓉子は思わず笑ってしまった。
「お姉さまっ」
本格的に不満になったらしい。
こんなところで声を荒げるようになったのもまた、変わったのだということに目の前の妹は自分で気がついているのだろうか。
「悪かったわよ、祥子。だってこれも祐巳ちゃんが言っていたことだもの」
「祐巳が?」
「ええ、祥子は時々感覚が宇宙人だ、って……ぷっ」
「お姉さま!もう、祐巳ったら何てことを。お姉さまもご自分の妹をつかまえてそこまであしざまに言わなくても……」
ぶつぶつと、祐巳ったら後で叱っておかないと、なんて言いながらケーキを荒々しく口に放り込む祥子も。
去年まで、一体誰が予想していただろう、と蓉子は微笑ましく思っていた。



「それで、祐巳ちゃんは?」
祐巳からは「内緒ですよ」と釘を刺されていたことをすっかり忘れて、祥子さま宇宙人説を暴露してしまった蓉子はその申し訳なさもあって心で謝りつつ祥子を宥めて話題を変えた。
「祐巳なら、今日は出かけてますわ。今まで手伝ってくれたいた1年生にお礼をするのだそうですよ」
すると今までぷりぷりしていた祥子が、急に穏やかな表情に変わる。
祐巳ちゃんの百面相まで移ったのかしら、そう思いながら自分の思惑があまりにも上手く行ったことに内心でほくそ笑みながら、
「祐巳ちゃんを手伝っていた1年生?ああ、あの長身の子ね」
文化祭で出会った少女を思い出す。
祥子の教室に駆け込んで来て、突然反復横跳びを猛烈な勢いで始めた長い黒髪の少女。
その後祥子が連れて行き、図らずも保健室で人間ドラマを目の当たりにさせられた。
「いえ、違う子ですわ」
「あらそうなの。なら……祥子の遠縁の子?瞳子ちゃんと言ったかしら」
「それも外れです、お姉さま」
「そんなに沢山の子に手伝ってもらっていたの?もてるのね、祐巳ちゃんは」
蓉子さま蓉子さま、と慕ってくれていた子猫のような……いや、子狸のような可愛い祐巳が沢山の1年生に囲まれて仕事をしているところを想像し、何だか遠くに行ってしまうようで寂しいような嬉しいな複雑な気分の蓉子だった。
そんな蓉子の気持ちを知ってか知らずか、祥子は落ち着いてコーヒーを口にすると、
「もう一人の妹候補、ですわ。祐巳がどう思っているのか、どうするのかはわかりませんが」
急に落ち着いてしまった妹に、蓉子は苦笑を浮かべる。
「無理しなくてもいいのよ、私の前では。祥子だって気になっているでしょうに」
「そうですわね……気にならないと言ったら嘘になります。ですが」
その先は聞かなくてもわかるような気がした。
けれど敢えて語尾をとらずに祥子の言葉を待つ。
「気になるのは祐巳が妹を作るかどうかであって、誰であるか、ということではないんです。私が祐巳を妹にする前のお姉さまだって、そうだったのじゃありませんか?」
思った通りの言葉に、つい微笑を浮かべる。
「そうね。でも祥子?あなたの口ぶりからすると、何となく今日会ってるその子が妹になるんじゃないか、って気はしているんじゃないの?」
祥子は黙ってカップをソーサーに戻した。
静かな音楽だけがその場を支配し、店のざわつきが遠くに感じる。
「お姉さま」
蓉子は黙ってその先を促す。
「さきほど私が変わった、と仰いましたね」
「ええ」
「私はほんとうの私になれた気がします、祐巳と出会って。もちろん、今までの自分を否定するわけではありませんけれど、隠れていた私の手をとって出してくれた、そんな気がするんです。片意地を張って常に前を見ていた私に、立ち止まることや休息を教えてくれたのが祐巳ですから」
そう。
休むことなく流れる車窓からの景色だけではなくて。
ゆっくりと歩きながら木々や空気を感じることの素晴らしさを教えてくれたような、そんな気がする。
落ち着くように注意しながらも、けれど祐巳はほんとうの意味では落ち着いて人生を楽しんでいるのだ、ということはわかっていたのだから。
瞳子や可南子を上手く御しているのも、祐巳だからこそなのだろう。
それもよくわかってはいる。
わかってはいるけれど……
「祐巳は周りにいい影響を与えます。先ほどお姉さまの仰っていた子たち、瞳子ちゃんや可南子ちゃんも祐巳のせいだけではないですけれど、変わりました。私や令、由乃ちゃんや志摩子まで」
「私や聖、江利子も、ね」
蓉子の言葉に頷く。
「でも」
祐巳はいつでも自然体である、それはわかってはいる。
喜怒哀楽を、聖の言う百面相で出すことも。
その祐巳の明るさや柔らかさに、どれだけ山百合会のメンバーが助けられているかわからないし、山百合会に留まらず蔦子や真美、もっと言えばリリアン全体が穏やかに自然に変わっているのは気のせいではないと思う。
ただ……
「祐巳は誰に甘えて、支えられればいいんでしょう」
蓉子の答えはなかった。








「あら?」
書類を抱えて中庭を横切ろうとした祥子と令の目に写ったのは、一本の公孫樹に寄りかかるようにして座る笙子と、その膝枕で気持ち良さそうに寝ている祐巳の姿だった。
優しい光と風に包まれて、まるで一幅の絵画のよう。
傍らの令を見ると、片目を瞑って顔を向け、寄ってみようという意思表示をしていた。
2人は足音を忍ばせて枯葉を踏まないようにそっと近づく。
「よく寝ているね……」
「ええ」
小声で話す2人は、とても祐巳と笙子を起こす気にはなれなかった。
彼女たちが文化祭での用具使用許可申請から帰る途中だったとしても。

さわさわと枝を揺らす風が昨日よりも涼しい。
祐巳も笙子も穏やかな、ほんとうに穏やかな天使の微笑みを浮かべている。
そんな2人をどうして邪魔することができるだろう。
夏よりも低くなった太陽を葉が遮り、時折眠る2人の顔に漣を立てる。

「だから、笙子ちゃんがあんなに強く主張したのか……」
しばらく2人の寝顔を見つめていた令が、ぽつりと呟く。
返事はしなかったが、祥子にも何を言っているのかはわかっていた。

『祐巳さん、遅いわね』
『そうね。令ちゃ……お姉さま、私ちょっと迎えに行ってきます』
『由乃さま、それなら私が行って参ります』
『瞳子が行きますわ。ついでもありますし』
『誰でもいいけど……由乃は仕事残ってるでしょ。瞳子ちゃんか可南子ちゃんに……』
『あっちょっと待ってください!』
『笙子ちゃん?』
『私が行ってきてもよろしいですか?あの、きっと職員室でつかまっているんだと思いますし、私もちょうど使用許可申請の追加がありますから』
『構わないけれど……』
『ありがとうございます、紅薔薇さま!あ、ついでに先生に用事がありますので少し遅くなるかも知れません』

きっと笙子はわかっていたのだろう、祐巳がこのところ張り切りすぎで疲れ気味だということが。
祥子も気づいてはいたが、祐巳がそうしたいのなら、とやりたいところまでやらせてやろうという気持ちでいたのだ。
「朝も、さ……」
「え?」
相変わらず小声で呟く令の声が聞き取り辛くて、祥子はゆっくり顔を向けると聞き返した。
「この間、朝練の前に寄ったんだ、忘れ物があって。祐巳ちゃんが早く来て掃除しているんだろうな、と思っていたら来ていたのは笙子ちゃんだったよ」
「そう」
どうしてか、は聞かなくてもわかった。
彼女は祐巳を半ば強引に休ませたに違いない。
朝の掃除は自分がやるから、と。
もちろん、その後で祐巳の姿を朝に見かけているところから、恐らく交代でやっているのか何かだろうとは思うが。
そう考えると思い当たるふしは沢山ある。
重いものを運ぶ時には、必ず一緒についていく、とか。
その日処理しなければならない祐巳の書類が、順番に並べてあるとか。
あまりにさり気ないので気に留めなかったが。
「いい子だね、笙子ちゃん」
「そうね」
しばらく寝顔を見つめていた祥子と令は、お互いに微笑みを浮かべるとそのまま静かに立ち去った。
そっと、顔にかかる髪をかけてあげて。








「私は」
しばらくの沈黙の後、祥子が口を開く。
蓉子は黙って顔を上げた。
「私は祐巳の妹は何人いてもいいとさえ思っていました。別に、つぼみの人数に制限はないのですから」
「姉妹制度そのものが暗黙の了解でしかないものね」
答えながらもそういった伝統を守ることを遵守していた妹の変わりように、改めて見つめ返す蓉子だった。
「誰かを選ぶ、誰も選ばない、普通はそのどちらかだと思いますが」
ちょっと笑う。
「でも、そこで敢えて全員を選んでしまうのが祐巳らしい気がして」
祐巳を想像して思わず蓉子の口も微笑を結んだ。
「そうね。でも、祐巳ちゃんはその先を考えてしまうんじゃないの?」
「いいえ、きっと祐巳は『お姉さまから頂いたロザリオは一個しかないし、同じのは売ってないし』くらいですわ」
これには吹き出してしまった。
「ぷっ……あははっ祐巳ちゃんらしいわね」
「もちろん、同時に妹になった場合の3人の気持ちも考えるでしょうけれど」
それはそうだろう。
たった一人。
唯一の存在、その重みがわからない祐巳ではない。
たとえそれが2人でも3人でも、人数の問題ではないのだ。
all or nothing
選ばれなかった心の痛みは、いつか癒されるけれど。
選ばれてしまった心の疼きは、薔薇さまと呼ばれる3年生になっても彼女たちから消えることはないだろう。
nothingだった場合のその後の2年間と、常に一緒に考えられてしまう2年間を思えば、祐巳がどちらを選ぶだろうということは予測がついた。

「それで、祥子は祐巳ちゃんに妹ができた安心感から、こうして私と過ごす時間をとることができた、と」
「意地悪ですわね、お姉さま。祐巳の妹が決まっただなんていってませんし、そうでなくともお姉さまとはお会いしたいと思ってましたのに」
「わかってるわよ」
わかってるわよ、あなただって私の可愛い妹なんだから。

私もあなたに会いたかったのだから。

その言葉はコーヒーと一緒に飲み込んだ。
だって、この姉妹の間ではそれは、言わなくてもわかることだから。



音楽が静かに流れる店内で。
2人は穏やかに2日遅れのクリスマスを楽しんでいた。








『ん……』
『目が覚められました?……お姉さま』
『ん~……え?何か言った?笙子ちゃん』
『いえ。疲れは取れましたか、祐巳さま?』
『うん、ありがとう。って、ああっもうこんな時間?!』
『大丈夫ですよ、遅れるって言ってありますから。それに大して時間は経ってませんし、今日の仕事はこれで終わりですから』
『そっか。でも、重くなかった?ごめんね、笙子ちゃん』
『祐巳さまは軽いですもの』
『むー、何かそれって、頭が軽いって言われてるみたいな……』
『猜疑心が強すぎます』
『あはは。じゃ、行こうか』
『はい』



『ほんと、いつもありがとね……笙子』
『え?何か仰いました?』
『ううん、なんでもないよ』
[PR]
by rille | 2004-12-28 11:39 | まりみてSS
<< おとしだま ちょっと遅めの。 >>