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雨上がり




「蓉子さまは、雨上がりがお好きなんですか」

いつもの帰り道。
昨夜から降り続いていた小雨も止み、薄く延べられた雲を透かして夕陽が濡れた木々の紅葉を更に赤く染め上げている。
ゆっくりと歩いていた足を止めて軽く息を吸い込んだ紅薔薇さまに、隣を歩いていた少女が問いかけた。
「ええ。……どうして?」
蓉子の言葉は足りなかったが、少女の問いかけの理由もまた不足していたからこれはお互い様というものだろう。もちろん、彼女に蓉子の意図は正確に伝わっていたが。
「なんとなくです。今の蓉子さまが、ただ雨上がりの空気を感じたいだけって訳ではないんじゃないかな、と思ったので」
小さく笑いながら言う。
きっと彼女自身にもどうしてそう思ったのか、なんて正確なところはわかっていないのだろう。それでも蓉子の行動のほんとうを正しく言い当てたことが、少女― 出会ってからまだほんの少ししか経っていない、しかも山百合会のメンバーですらない一般のリリアン生に過ぎない、福沢祐巳が、このリリアン女学院の誰よりも蓉子のことを理解しているということをあらわしていた。

そんな祐巳に微笑みながら、
「そうね、雨上がりのきれいな空気も好きだけれど、それ以上の理由があるのかも知れないわ」
「ご自分のことなのによくわかっていない、ということですか」
「祐巳ちゃんは自分のこと、よくわかっていると言い切る自信があるの」
質問に質問で返す。かと言ってぎすぎすした雰囲気が皆無であるのもまた、彼女たちのいつもの光景だった。
「……そうですね。よくわかりません」
苦笑する祐巳に、その割には私のことをよくわかっているのよね、祐巳ちゃんは、という言葉を飲み込んだまま頷いてみせる。

正課授業が終わった直後でも、部活動が終わる時間でもない曖昧な放課後のせいか、周辺に生徒たちの姿は見えない。ただ風が、薄い雲と紅葉に溜まった水滴を落として行く。
目の前にいる、この間までは平凡ないちリリアン生にしか過ぎなかった少女を見つめながら、こんな時間を過ごしている自分を当たり前にように感じている、それが蓉子には不思議でもなんでもないことがおかしかった。
「蓉子さま?どうなさったんですか」
どうやら声に出して笑ってしまったらしい。祐巳が小首を傾げながら蓉子に眼差しを向けている。
「ごめんなさいね、何でもないのよ。ただ……」
「ただ?」
「祐巳ちゃんとこうして毎日を過ごしていることが、当たり前のように思っちゃって」

ほんとうなら、それは不思議なことでなければならない。
現に祐巳のクラスメイトをはじめ、山百合会のメンバーや教員に至るまで未だに事実を受け入れ切れていない様子なのだから。唯一の例外はリリアン一の変わり者(と、蓉子は好意的に用いている)であり、祐巳の親友でもある武嶋蔦子だけだろうか。
こうして毎日を過ごす関係になるまでのことを少しだけ思い出し、改めて思う。
「そのことの方が不思議だわ。祐巳ちゃんとはもうずっと一緒に過ごしてきたような気がするんだもの。不思議な子ね、あなたは」
祐巳は何も言わず、黙って蓉子を見つめている。
けれどもその目を見ただけで蓉子にはわかってしまった。
彼女が、「私もです」と言っているということが。

だから彼女も黙って祐巳を見つめる。
とても穏やかで、とても優しい沈黙が流れ、2人を景色に溶け込ませていく。
雨上がりの透き通った、紅い景色の中に。








『祥子……』
晴天の霹靂、というのはこういうことを言うのかも知れない。
きっと会議室に集められた山百合会のメンバーならずとも、ここ何日かの噂で恐らく知られているであろう全リリアン生にとってもそうであるに違いない。誰もが思っていたはずだ。「福沢祐巳は、紅薔薇のつぼみの申し出を受ける」と。
気丈に振舞う妹を気遣う黄薔薇のつぼみの姿を眺めながら、ぼんやりと蓉子はそんなことを考えていた。

恐らく妹、祥子にとっての衝撃は「妹を作ることができなかった」つまり「シンデレラを演じなければならない」ということであり、「福沢祐巳にロザリオの授受を断られた」ことではないだろう。
そもそもの動機が不純すぎたし、けれどそれについて何も言わなかったのはこうなること― 祥子がそれでも持ち前の負けず嫌いで主演だけは立派にこなすだろうということと、イコール福沢祐巳にふられてしまうだろうということ ―を予測していたからかも知れない。

『問題なくってよ、令。約束ですもの、きちんと役はこなすわ』
それでも男嫌いの祥子には、従兄弟と言えど男性とダンスを踊るという確約されたシーンが浮かぶのか、幾分青ざめてはいたが。
ただ、令が心配しているほどのショックは受けていないようで、
『あなたもいいわね。ここまできたら、申し訳ないけれどこのまま手伝って頂けないかしら』
言葉遣いがきちんとしていることから、そのことが伺われた。
会議室中の視線を浴びた感じになった少女は、一瞬だけ目を閉じ、はっきりとした声で返答した。

『はい。お手伝いいたします、紅薔薇のつぼみ』

それはこの数日、祥子と薔薇さまたちとの間で賭けの対象にされ、うろたえつつも何とか山百合会の雰囲気に慣れてきたかな、という少女と同一人物だとはとても思えなかった。

―― ああ、そうか。

不意に蓉子は理解した。
少女がその後ビスケットの扉と呼んだ会議室のドアの前で、祥子とぶつかったあの日。
戸惑いと不安に怯えながらも、祥子と薔薇さまたちの賭けの本質を見抜き、姉妹の契りを断ったあの日の違和感。
そして続く日々の中で、明るく素直、けれど多くの中に埋もれてしまいそうな風を装いながら蓉子や聖、江利子の興味を惹きつけて離さなかった妙な存在感。思いがけず短期間で結果が出てしまったが、彼女が紅薔薇の系譜を引き継がないという予感。

聖や江利子はまだわかってはいないようだ。
彼女、福沢祐巳が毅然として礼を失しない完璧な態度で祥子に相対した今の様子を、さきほど正式に姉妹の契りを断った時よりも更に驚きの目で見つめいているから。

だとしたら、チャンスね。

人知れず蓉子は胸中で微笑む。
あの少女のほんとうの姿を、自分しか知らない。
そしてきっと、それを知ったら聖や江利子に限らず今は同じように吃驚している令、志摩子や由乃たちまでが惹かれてしまうから。

この子をわかってあげられるのは自分だけ。
そして、自分をわかってくれるのも、あの子だけ。

蓉子の中で言い知れない歓喜の震えが湧き上がり、同時に計り知れない幸福感で満たされる。
実際、黄薔薇さまほどではないが、蓉子もまた渇望していたのだ。
祥子が妹として不足なのではない。彼女が次代の紅薔薇さまとして立派にやっていけるであろうことは、学院中の羨望をその一身に受けているというカリスマ性からも確実だ。
聖や江利子が親友として不満なのではない。今の自分に不満なのでもない。山百合会のあり方に希望はあるけれども、それほどの不満を感じているわけでもない。
そんなものではないのだ。

―― 誰かにわかってもらいたい。
ただそれだけだ。それが大仰であるというのならば、この人といればそれだけで安心できる、という相手が欲しいと言ってもいい。
人が他人を理解することは不可能だと、知ったようなことを言う人種もいるが、蓉子はそれでも諦め切れなかった。
全ては滅びという真理から逃れることはできないという、無常観ならば理解できる。そこからくる諦めは彼女も人間である以上は共有しているのだから。
けれども、蓉子の渇望を満たす者を求めることは、つまり他人とわかりあうことを追求することは決して不可能なことではないのではないだろうか。ア・プリオリな不可能など、そのことについては当て嵌まることができないのではないか。
そしてその時、蓉子は幸運にもこの若さで渇望を満たして余りある潤いに出会えたことを、はじめて神に感謝したいと思った。

『……見つけた。もう誰にも渡さない』
蓉子の呟きがそこに居た誰にも聞きとがめられることがなかったこともまた、彼女に与えられた幸運だったのだろう。きっと。








「蓉子さま?」
声へ視線を向けると、そこには訝しげに見つめる瞳があった。
少し回想に耽ってしまいすぎたのだろう、祐巳は複雑な色を浮かべて蓉子を覗き込んでいる。いや、彼女たちの身長から言えば、「覗き上げている」と言う方が正しいか。
回想の余韻のためか、蓉子はしげしげと祐巳を見つめる。
居心地悪そうに首を竦める祐巳に、
「そう言えば蔦子さんが言ってたわね」
「?何を、ですか」
「私たちは被写体ではない、そうよ」
蓉子の言葉に疑問符を浮かべる。
さすがに言葉が足りなすぎたか、と思いつつ学園祭の後、クラブ展示の終了報告書を持参した蔦子との会話を教えてやることにした。








『以上です。展示写真の今後の保管方法についてもレポートにありますので』
『確かに。ありがとう、ご苦労様』
とんとん、とレポートをまとめながら蓉子は、ところで―と切り出した。
『蔦子さんは祐巳ちゃんとはずっと一緒だったのよね』
『ええ、幼稚舎から……腐れ縁、でしょうか』
リリアン生らしからぬ言葉で笑いを浮かべながら答える。他の生徒ならば多少の違和感を覚えてしまう単語ではあるが、蔦子が言うとまったく自然にしか感じない。
『私からも紅薔薇さまに伺いたいことがあるのですが。よろしいですか』
誰もいないことはわかっているのだが、つい周囲を見渡してしまう。もちろん、そうしたことでそこに誰かが急に現れるなどということはない。白薔薇さまとそのつぼみは体育館の撤収指示に出ているし、黄薔薇さまは山百合会を代表して花寺学院へ終了挨拶とお礼に出ている。
黄薔薇のつぼみはグラウンドの最終チェック、その妹は部室棟、祥子は学院事務室へ会計報告。
全体の管理統括としてこの薔薇の館に残っているのは蓉子だけだった。

『構わないわよ。祐巳ちゃんのことでしょう』
『お見通しでしたか』
小さく笑うと、蔦子は居住まいを正した。
表情からも笑みを消し、まるでファインダーを覗いている時のような真面目な表情で蓉子に向き直る。
『紅薔薇さまは祐巳さんを山百合会に入れるおつもりですか』
『いいえ』
即答だった。
その質問から始まるとは思っていなかったから、多少面食らったけれども答えは考えるまでもないことだった。
ただ、それ自体は不可能なことではない。薔薇さまというのはあくまでも通称であり、生徒会であることに変わりはない。文部科学省の学習指導要領にも規定された特別活動の執行機関であることは他校と同様なのだから、別途の役職を措くことは手続きを踏めば簡単なことですらあるのだ。
学園祭への祐巳の関わり方は学校側も生徒も見てきているのだから、蔦子の危惧― 敢えてそう表現しておこう ―と同じことを、他の生徒たちも思っているに違いない。
学校側は生徒たちに見えていないことまで見ている。山百合会の役員たちが気づいているかどうかはわからないが、蓉子が祐巳に学校・執行部・生徒の間を繋ぐ役目を密かに課していたことも気づいているだろう。そしてもちろん、それが現山百合会の誰が行うよりも円滑に進められたことにも。
だから彼女を山百合会に迎え入れることに、何らの障害もない。

『蔦子さんの危惧は、幼稚舎からの付き合いだから?それとも……』
『紅薔薇さまのお考えの通りです』
ふっ、と表情を崩して蓉子は続ける。
『大事なのね、祐巳ちゃんが』
『はい』
こちらも即答だった。
蔦子にしてみれば、それこそ言うまでもないことだ。が、敢えて続けた。
『祐巳さん以上に大切なものなんて、私には存在しませんから』
そう、と呟くように言うと、蓉子は蔦子の胸元に存在感を主張している一眼レフに目をやった。そしてもう一度、そう、と繰り返すと、
『蔦子さんの写真』
『はい?』
『絆、だったわね。素晴らしかったわ。嫉妬してしまうくらいに』
視線を上げて目を合わせる。眼鏡の奥で少しだけ色が動いた。
何だろうか、と蓉子がその意味を探る前に蔦子は答えを出してしまっていた。
『あれはその……自分で言うのも何ですが、構図や技術は完璧だったと思っています』
はにかみながら言うその姿に、普段は大人びた風だが年相応の雰囲気を感じた。
『何かが足りてない、と思っているのね』
『はあ、その何かが何なのかを説明するのは難しいんですけれども』
『あら、ならわかってはいる、ということなのかしら』
蓉子の言葉にこくり、と頷くと、
『敢えて言うなら……そこに祐巳さんがいない、と言いますか』
ひどく曖昧で抽象的な内容だったが、それでも蓉子は蔦子の言いたいことをほぼ的確に掴めたような気がした。

あの写真は素晴らしかった。それは間違いない。
忙しい合間を縫って各展示を回ったが、思わず足を止めてしまったのは蔦子の作品だけだった。芸術に造詣が深いわけではない自分が見入ってしまったのだから、何かしら「感じる」ものがある、そういう作品だったのだろう。
けれどもそれだけではなかった。
同時に「何かが足りていない」とも思ってしまったのだから。
それが何なのかを言い表すことは今の蔦子同様、彼女にもできなかった。だからこそ足を止めてしばし考えこんでしまったのだ。
今、蔦子が言ったことでようやくその答えを得たような気がした。
『それはあれが祐巳ちゃんだから、じゃないかしら』
蓉子の言葉は先の蔦子同様、不足気味ではあったが撮影者の蔦子本人がわかっているのだ、その先へ進めても彼女ならば理解してくれるだろうという推測は無理ではない。
案の定、
『さすが蓉子さまですね』
と笑った。
『それが祐巳さんそのものだと思います、私も。祐巳さんはあの写真の中で紅薔薇のつぼみとの「絆」がまさしくそのものであるかのように写っている。祐巳さんだからそう写ることができる』
『それも無意識のままに、ね』
『誰と写っていても、何と写っていても祐巳さんはそこに溶け込めるんです。どんな写真も彼女が写っていると不自然じゃなくなる。でも、そこに祐巳さん本人だけがいない』
祐巳が祐巳であることのできる場所が、人がいないのだ、と蔦子は続けた。蓉子はそれに頷きながら祐巳が山百合会を呆然とさせた時のことを思い返す。
あの子は決して凡庸ではない。自己主張がないわけでもない。寧ろ、これは本人ですら気づいているかどうか怪しいが、誰よりも自分という存在を確立しているのではないだろうか。
無意識のうちなのだろう。そのことが自信なげな様子に繋がるのだろうから。

『で、唯一祐巳さんを写せた写真があるのですが』
『えっ?!』
思わず声が大きくなる。
蔦子は報告書を取り出したファイルから、一葉の写真を抜き出すと蓉子に差し出した。
ひったくるようにして受け取ると、蓉子の目が大きく見開かれる。
こんな紅薔薇さまのお姿を拝見できるのは役得よね、と思いながら蔦子は蓉子の驚きが納まるのを待った。
『蔦子さん、これって……』
『何を話されているのかまではわかりませんでしたが。そこには祐巳さんがいます。そして』
にっこりと笑って続けられた言葉に、さすがの蓉子もヤラレタ、と思った。

『ほんとうの蓉子さまも』

何を話していたかは蓉子自身も覚えていない。けれどそこには確かに、微笑む蓉子と祐巳、2人が写っていた。









「その写真、私には見せてくれないんですか、蓉子さま」
「ふふ、ダメよ。私だけの宝物だもの」
「蓉子さまのいじわる……」
むくれる祐巳だったが、ふ、と顔を上げて、
「あれ?でもそれが被写体にならないってことと、どう繋がるんですか」
「カメラマンとして写したくないらしいわ。私たちのいる光景というのはそれとして存在するべきものであって、印画紙に写し取るものでない、そう言っていたわね」
わかったようなわからなかったような、そんな微妙な表情を浮かべながら祐巳は頷いた。それでいいんだと思う。きっとそういうことは明確に答えの出るものではなくて、なんとなく感じ取ることだと思うから。
でもね、と蓉子は続ける。
「その時一番嬉しかったのは、蔦子さんが私を『紅薔薇さま』と呼ばなくなったことね」
「あ」
つまりそれは。
祐巳も気がついた。
蔦子さんは気づいたのだ、私にとって蓉子さまが、蓉子さまにとって私が……。

「何だか結婚相手の親に認めてもらうことみたいだけれど。祐巳ちゃんの親友に認められることが」
そういって苦笑を浮かべる。
同性、しかも祐巳と同い年なのだから確かに変なことだが、雰囲気はわからないでもなかった。



薄くなっていた雲が切れる。
射し込んでくる夕陽を浴びながら、祐巳は気になっていたことを聞いてみる気になった。
「蓉子さま。蓉子さまはなぜ私を山百合会に入れなかったんですか」
けれど蓉子はその質問にすぐには答えず、ただ、
「ちょっと持っていてくれるかしら」
そういって鞄を手渡す。受け取りながらデジャビュを覚える祐巳を尻目にスカートのポケットからハンカチを取り出すと祐巳の肩に当てた。
「さっきの風で水滴が落ちてきたみたいね」
これくらいなら中にまで浸みないとは思うけれど、と。
「あ。ありがとうございます」
ハンカチをポケットに戻し、鞄を受け取った蓉子は、
「理由は2つ。ひとつは私が雨上がりが好きになったのと同じ」
「え?」
さすがにわからない、と祐巳は無言で先を促した。
「乾いていた私を潤してくれたのが祐巳ちゃん。今の私はとても満たされていて幸せよ」
渇望していた頃の私は雨自体が好きで、それが上がってしまった後は物足りなさを感じていたけれど、と続ける蓉子の頬が赤いのは夕陽のせいだけではないだろう。視線が落ち着かなくなった祐巳もまた同様なのだが。
照れ隠しなのか、どもり気味に祐巳が尋ねる。
「あ、あの、それで、も、もうひとつは……」
「それはね」
そこで言葉を止める。
祐巳に向けていた穏やかな視線を外し、祐巳の肩越しに校舎を見遣った。
いや、正確には校舎の方からやってくる一団を睨み付けた。

「?蓉子さま」
「……薔薇の館には、ああいう輩がいるからよ」
「はあ?」
わからない、と祐巳は振り返って蓉子の視線を追って。
「……あ、あはは」
微妙な笑い方をした。



「こらー!蓉子、祐巳ちゃん連れてどこ行こうって言うのっ」
「令、さっさとロザリオ返しなさい!祐巳ちゃーん、黄薔薇のロザリオを……」
「お、おお、お姉さまっ?ロザリオは由乃に、って由乃っ?!」
「祐巳さん、これを受け取ってー!」
「ちょ、由乃ちゃん!あなたは妹作れる訳ないでしょう、薔薇さま方も!!そもそも最初に祐巳に目をつけたのは私ですっ!」
「早いもの勝ちですわ、祥子さま。祐巳さん、恥ずかしがっていないで、私のロザリオを……お姉さまのセクハラなら私が殲滅しておくわ」



「えーと……」
祐巳としては何とも言いようがない。さっきまでの穏やかで満ち足りた幸福な時間は何だったんだろうか、と思いつつ蓉子を見上げる。
こめかみを押さえながら怒りを堪えていた蓉子も、怒り心頭であることは間違いなく、迫り来る集団を有無を言わせず叩きのめすかどうするかで一瞬悩んだが、
「よ、蓉子さまっ?」
「逃げるわよ、祐巳ちゃん」
祐巳の手を握ると走り出した。



「逃げたっ?」
「追いなさい、令っ捕まえられなかったら姉妹の契りを破棄するわよ!」
「そ、そんなあ……あ、でもそしたら妹はもう無理だとしても祐巳ちゃんに姉になってもらうことは……」
「令ちゃん!不埒なこと考えてると*すわよっ」
「お姉さまー!紅薔薇のロザリオはまだ空いてますのに、どうしてお逃げになるんですか!祐巳を私にください、っていうか寄越せ!!」
「あらあら祥子さま、祐巳さんは既に私のものですよ?」



背後に不穏な声を聞きながら、蓉子も祐巳も笑っていた。
こんなドタバタも、たまのスパイスだったらいいのかも知れない。
どうせこの繋いだ手は、決して離されることはないのだから。

永遠に。
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by rille | 2008-11-23 22:45 | まりみてSS

薔薇十字軍~プランゾの攻防~(嘘)






それは和やかな昼下がりのひとときだった。
……『だった』はず、だった。

「あら祐巳さん、今日はお弁当なのね」
いつものように用事もないのに薔薇の館に集まった暇人……もとい生徒会たる山百合会のメンバー。
生徒会長である薔薇様の3人とそのつぼみたち3人の6人がそれぞれ食事にしようと席につき、同じつぼみであっても学年が1つ下であるために自然とそうなってしまった習慣で乃梨子がお茶を淹れておこうと流しに立った時だった。

お弁当と購買でパン、というのをだいたい4対6の割合にしている祐巳が鞄から弁当箱を出したところで志摩子が声をかけたのが最初。
「うん、今日は早起きできたから。最近は急ぎの仕事もないしね」
「え?」
ランチョンマット兼用となる包みをほどきながら祐巳が答えたのが次で。
その言葉に反応した全員の声――流しに立っている乃梨子までもが振り返って手を止めていた――が重なったのが最後のきっかけとなった。
「早起きできたからって……祐巳さん、もしかして今日は自分でお弁当作ったの」
「今日は?」
由乃の台詞に、きょとんとした表情で小首をかしげる。
その様子があまりにも愛らしかったのか、令と祥子、それに乃梨子が鼻を押さえつつ上を向いて後ろ頭をとんとんと叩いていたのは特に記すべき内容でもない、単なるいつもの光景だった。
「ふぇえっと、ひゅみひゃん……かふぅっ」
どうやら令は鼻血が詰まってしまったらしい。『ミスター』リリアンだからというわけではなかろうが、祐巳のメテオ・子狸・ヴァニッシャー(命名者不明)で最大の被害を蒙ってしまうのはだいたいこの人だ。
「ゆ、祐巳?あなたもしかして、いつもお弁当を手作りしていたのかしら」
「はい、そうですけど?何か変でしたか、お姉さま」
令の背中を叩いてあげながら答える祐巳に、『こいつ上手くやりやがって。早く祐巳から離れろこのヘタレ野郎が』とか思ったかどうかはわからないが、祥子、志摩子、由乃、乃梨子の動きが止まる。
「でも、さすがに毎日は作れなくって。仕事が忙しくなるとどうしても疲れちゃって、作れる余裕のある時間に起きられないんです」
てへへ、と笑う。
復帰しかけた令がそんなファイナル・子狸・スプライツ(命名者・意味共に不明)の直撃を喰らって轟沈したのをはじめ、残りのメンバーの口からも「かふっ」とか「んくぅ、んっ」とか妙な音が聞こえてくる。
「あんまり上手じゃないので恥ずかしいんですけど」
そんな骨抜きにされた変態、じゃなくて生徒会役員たちの様子も余所に祐巳は恥ずかしげだ。
「で、それがどうかしたの、由乃さん」
今更ながら発問者に問いかけなおすが、彼女らはそれどころではなかった。
「あの、みんな、どうしたの」
呆然としている山百合会の面々に、おずおずと祐巳が尋ねる。
彼女たちが再起動を果たすまでにちょっとの時間が必要だった。
そして、

「ななななな、なんですってぇぇぇぇぇぇぇっ?!」
全員の叫びが薔薇の館に響き渡った。






「迂闊だったわ。祐巳の手作りだと知っていたら小笠原の力で緘口令を敷いた後、独占可能だったのに……」
「祐巳ちゃんの手作り……祐巳ちゃんの手作り……祐巳ちゃんが私に、あ~んて……ぶふぁっ」
「うふふ、もう水臭いわ祐巳さん、私のために自ら作ってくれているだなんて。恥ずかしくて言えなかったのね」
「はい、あなた、今日のお弁当。ありがとう祐巳、でも私はあなたの方を食べてしまいたい……なんちゃってなんちゃってーーーー!」
「さすがは祐巳さま、奥ゆかしいんですね。でも私はいつだって祐巳さまのでしたら胃袋が破裂しようがすべて食べてさしあげます」
微妙に姉妹同士で考えることが似ている気がする。



うららかな昼下がり、会議室に射し込む陽光は穏やかで。
開け放した窓から滑り込んではカーテンを揺らす風も、緑の香りを運んでくる穏やかな時間。
そんな風景にはとっても場違いな妄想を炸裂させる山百合会のメンバー。
祐巳にとっては「なんで今更そんなことを」な内容であっても、彼女たちにとっては重大事であった。

「……さて。令、志摩子、由乃ちゃんに乃梨子ちゃん。ここから先は紅薔薇だけの時間だから、出てって頂けないかしら」
「あはは、面白い冗談だね、何を言ってるのかな祥子は。祐巳ちゃん(の手づくり弁当)は私たち黄薔薇が責任持って……」
「いやですわ令さま。あまりご冗談が過ぎるとマルティムを召喚して別次元……いえ、マリア様もお怒りになりますよ」
「志摩子さんも調子に乗らないで欲しいわね。まさか、祐巳さんの心の友と書いてラ・マンである私を差し置いて好き勝手できると思ってないわよね」
「由乃さま、ちょっと傲慢ではありませんか。あまりひどいとラーヴァナを呼び出して……」
やっぱり姉妹で考えることが似ている。
それはともかく、祐巳の手づくり弁当というこれ以上ない餌を目の前にぶら下げられて黙っているような山百合会ではなかった。






「で、私が呼び出されたわけですか」
夏が近づいた春の陽光うららかな薔薇の館2階にある会議室、そのビスケットの扉を背にして写真部のエース、武嶋蔦子は溜息をついた。
「ええ、お昼休みにごめんなさい。祐巳さんの手づくりのお弁当が誰のものか、口論では決着がつかなかったからここはひとつ、勝敗が明らかになるもので勝負しようということになったの」
これっぽちも済まなくなさそうな口調で志摩子が素敵に事務的な口調で説明をする。
「まあいいけどね。公認で写真取り放題なわけだし。それで、勝負方法は何にするかは決まっているのかしら」
この人たちの傍若無人は今に始まったことではないし、抵抗するだけ無駄だと悟りきっている蔦子は諦め顔で見回した。

「私は私設軍同士の戦闘で勝負をつけようと提案したのだけれど」
「ダメですよ、それ。ていうか小笠原の力というのはそこまでなんですか、憲法すら無視していませんか」
「そうだよね。だから私は料理勝負を提案したのよ」
「それってどう考えても黄薔薇さま有利ですよね。そもそもお弁当を食べたくてやってるのにその前に食べてどうするんですか」
「ええ、そうなのよ。だから私は銀杏殻剥き勝負をしたかったのだけれど」
「どうやって?レンジも炒り器もキッチンバサミもないでしょうが。だいいち、この季節に銀杏なんて成ってないじゃないの」
「でしょ、やっぱり勝負と言ったら真剣で立ち合い、これしかないわよね」
「由乃さん、あなたまだ素人同然でしょ。自分から進んで墓穴掘ってどうするのよ」
「蔦子さまもそう思われますよね。ですから般若心教の写経対決がいいと言ったじゃありませんか」
「ここ、リリアンなんだけど」
全員に対して的確な突っ込みを入れつつ、蔦子は頭痛と眩暈を感じた。
やばい、これ早まったかも知れない。この人たちの暴走っぷりは十分承知してたと思ったんだけどなあ。
そう考えながらも早くここを抜け出したい一心で勝負方法を尋ねる。
「で、結局何になったんですか」
「紅茶対決よ」
「紅茶、ですか」
答えた祥子を向きながら、
「えーと、それはつまり誰が最も美味しい紅茶を淹れられるか、ということだと思っていいんですか」
そのための審査員だろうか。ふむ、と考えて、
「山百合会の皆さんでしたら僅差でしょうね。そんな差が判別できるかどうか自信はありませんが」
「あら、それは大丈夫だと思うわ。その方法ではなくて、全員が利き紅茶をして正解率が高かった人が勝利、という方法だから」
自信なさげな蔦子に志摩子が答える。つまり、
「ああ、淹れた紅茶を並び替えてわからないようにするための第三者、ってことなのね」
「そういうこと。お願いできるわよね、蔦子さん」
蔦子がその任に当たるのはもはや決定事項、とでもいいたげな由乃の言葉に苦笑を返す。
それで蔦子の役割が決定した。



「では左から順番に味見をしてください」
軽く一口ずつを含んで温度などが一定であることを確認した蔦子が、最初の挑戦者である令に開始を伝える。
神妙な顔をして頷くと、指定された通りに左から含んでいく。
「これはごにょごにょがほにゃほにゃだし」
とか何とか小声で聞こえないように確認すると、次の挑戦者である祥子に交代。
最も有利であると思われた祥子だったが、
「……何かしら、これは。なんか変な香りね、令、あなたこれに気がつか」
ばたん。
「ちょ、ちょっと、令っ?」
「黄薔薇さま?」
令を振り向いて尋ねようとした瞬間に倒れた音がする。慌てて駆け寄る祥子と蔦子を見ながら、
「あちゃ。ちょっと効き目が早すぎたわね」
ぼそりと呟く由乃。
その軽い言い方とは裏腹に物騒な響きを感じた蔦子が、青ざめながら恐る恐る振り返って、
「ちょっと由乃さん?あなた一体何を……うっ?!」
令に続きばったりと倒れる蔦子。時を経ずして祥子が優雅にぶっ倒れる。ぶっ倒れる、なのに優雅なのはさすがに真性のお嬢様か。
床に伸びたまま、轢殺直後のヒキガエルみたいにひくひく動く3人を尻目に志摩子がたおやかに微笑んだ。
「あらあら。やっぱり何かしていたのね、由乃さん」
「私の予定では志摩子さんまでをここで倒したかったんだけどね」
「さすがお姉さまですね。ま、私も予想はしていましたが」








「で、私が呼び出されたわけね」
夏が近づいた春の陽光うららかな薔薇の館2階にある会議室、そのビスケットの扉を背にして新聞部のエース、山口真美は溜息をついた。
「ええ、お昼休みにごめんなさい。祐巳さんの手づくりのお弁当が誰のものか、口論では決着がつかなかったからここはひとつ、勝敗が明らかになるもので勝負しようということになったの」
これっぽちも済まなくなさそうな口調で志摩子が素敵に事務的な口調で説明をする。
「まあいいけどね。この勝負を記事にしていいってことだし。それで、勝負方法は何にするかは決まっているのかしら」
この人たちの傍若無人は今に始まったことではないし、抵抗するだけ無駄だと悟りきっている真美は諦め顔で見回した。
「ところで」
「なにかしら、真美さん」
にっこりと微笑む由乃に絶大な違和感を覚えて、いやそれ以前に
「この転がってる死体というか紅薔薇さまと黄薔薇さまと蔦子さんはいったい?」
嫌な予感がバリバリする。いやもうバリバリバリする。バリ3である。古いけど。
「それは気にしない方がいいと思うわ」
「え、でも」
「気にしない方がいいと思うわ」
「いや、あの」
「気にしない方が身のためだと思うわ」
「何も見えません、死屍累々で阿鼻叫喚な地獄絵図なんて存在しません」
ほんとうの恐怖ってこんなことを言うんだろうなあ、なんて思う余裕すらなかった。そういえば去年、お姉さまが『白薔薇のつぼみにだけは気をつけろ』と言っていたけれど、それを実感した。
「申し訳ございません、真美さま。お姉さまが奪命、いえ失礼なことを」
うわあ、ほんとに*すつもりだったんだ。冷や汗を感じながら真美は「白薔薇のつぼみも大概よね」と思った。なんかこの姉妹は危ない、そんな気がする。
「そ、それでどんな方法で勝負するの」
とにかくさっさと済ませてこの場を去った方がいい。お姉さまじゃあるまいし、記事のために命をかけるなんてごめんだ。
「召喚よ」
「は?」
「召喚」
「えーと、由乃さん?どうにも私の耳が突発性難聴になったみたいなんだけど」
真美の理性が現実を受け入れることを拒否した。
が、事実は冷酷だった。
「だから、召喚勝負するのよ。何でもいいから召喚して、自分達の代理として戦わせる、と」
「……あの、それに私が立ち会う必要がっどこにあるのか、できれば懇切丁寧に現実的な内容でもって私にもわかるようにご説明を願いたいと私の保護回路が強く訴えかけているのですけれど」
何だか日本語がおかしい気がするけれど、いったい誰が真美を責められようか。
だいたい召喚って何なのよ。ここは200*年の日本であってアセリア暦4202年じゃないんだけど。
愕然としている真美に、乃梨子が近づいてぽん、と肩に手をおく。後輩が先輩にする行為としては無礼かもしれないけれど、なにやら怪しい儀式を始めた志摩子の周囲にどす黒いオーラが漂っていたり変な法具っぽいものを取り出した由乃が風を巻き起こしていたりする光景が繰り広げられている会議室の有様を見ている今の真美には、そのことをたしなめる余裕などなかった。
「真美さま、人生諦めが肝要かと思います」
「ちょ、おま、いやああああああああああああっ!なんで私がぁぁぁぁぁぁ!」
アッーーー!とか何とか悲鳴をあげながら真美の意識は闇に包まれていった。








「で、私が呼び出されたわけね」
夏が近づいた春の陽光うららかな薔薇の館2階にある以下略で、桂さんは溜息をついた。
「ええ、以下略なの」
これっぽちも済まなくなさそうな口調で志摩子が以下略。

「ってちょっと!なんか私だけ扱いが酷くない?」
だいたいが苗字なんだか名前なんだかわからない状態で、しかも最近では出番すらないというのは悲しすぎる。あまつさえコミックでは姿も見せない状態だし。
「端的に説明しますと、さすがに召喚術では由乃さまもお姉さまには敵わなかったということです」
「あら乃梨子、あなただって凄かったわ。まさかヒラニヤークシャを召喚するなんて思ってもみなかったもの」
「いえ、さすがにお姉さまのフォルカロルには負けます。大公爵を召喚するなんて、焦りました」
「うふふふ。さっきので乃梨子も地獄に送ってあげようと思っていたから残念だったのだけれど。やっぱり序列42番では足りなかったかしら」
「奇遇ですねお姉さま。私も私もさっきので永久に祐巳さまに触れることも叶わない奈落へ突き落としてやろうかと思っていたんですよ」
「あらまあ、うふふふふふ。次こそは、こけし……失礼、クソ生意気な面を二度と私の祐巳さんに見せないようにしてあげるわね」
「いえいえ、それには及びませんよ志摩子さん。そっちこそ、安っぽいセルロイド製フランス人形のようなお姿を、直視できないくらいにしてさしあげます」

もはや何が何だかわからない超会話が目の前で展開されている。
なんだろうこの展開。ていうか私ってば単なる巻き込まれキャラ決定?
目の前で繰り広げられる、姉妹のというにはあまりにもアレな光景に愕然としながらも何とか助かる道を探して視線をさまよわせる。
どうして祐巳さんのお弁当を食べたいこの人たちのために私がこんな目に会わきゃならないのよ、とそもそも1年の時におかずを交換したりして祐巳の手づくりを食べた経験のある桂はあまりの理不尽さに目がくらみそうになった。

「……あ」
求めよ、さらば与えられん。そんな言葉が彼女の脳裏に浮かんだのかどうか、とにかくこの場を何とかできそうなものを見つけて声をかけようとしたが、そんな彼女に気がついた向こうが先に言葉を発した。
「あ、えーと……ほら、ね、久しぶり!」
「ておいっ!名前忘れたのかよっ!」
思わず突っ込む。
「やだなあ、冗談なのに。それでどうしたの、桂さん」
「いや見ての通りなんだけど」
「んー……まあそれはそれとして。桂さん、お昼は?」
「食べてきたわ。祐巳さんは」
「私もあとはデザートだけ」
「あの。えーと、そのお弁当がこの混乱の元に、ってまあいいや」
頭痛を覚えた。
にこにこしながらあっけらかんと祐巳は言い放つが、桂の言う通り、既にデザートを残して空になってしまっているちっこいお弁当箱の中身がこの惨状を引き起こしていたのだが。
でも、あの異次元の争いに巻き込まれてしまうよりはマシだ。あそこにお美しく転がってる紅薔薇さまや、女々しく倒れている黄薔薇さま、その他諸々のお仲間になるのは勘弁して欲しいし。
「並薔薇さま、それでしたら食後のお茶はいかがですか」
「さり気なくいじめよね、それ。もういいけど。ありがとう、いただくわ紅薔薇のつぼみの妹」
背後で何かが始まったらしい。
どたんばたんと暴れる音とか、なんかこう、怪光線が出てるっぽい音がするけどできるだけ気にしないようにする。
振り向いたら負けだと思う。
だから目の前の、砂を噛むような光景だって耐えられる。

「はい笙子、デザートだよ。今日はね、ちゃんとウサギになったんだ」
「さすがですわお姉さま。では頂きま」
「はい、あ~ん」
「お、お姉さま……(ぽ)あ、あ~ん……」
ぽ、じゃねぇよ。
思わず淑女らしからぬ言葉遣いになってしまうが、これはもう仕方ない。
「おいしい?」
「はい、とっても。お姉さまの愛情を感じます」
「やだもう笙子ったら。恥ずかしいじゃない、並薔薇さまもいるのに」
そう、もう私は祐巳さんの中でも並薔薇さまでデフォルトなのね。
心で泣いて顔でも泣いて。
でも決して振り返らない。前だけを向いていよう。
「じゃあ、お姉さまも……あ~ん」
「あ~ん」
うん、目の前の光景がどんなに苛つくものでも我慢しよう。



どっと押し寄せてくる疲れを感じて桂は窓の外へ視線を移す。
うららかな昼下がり、会議室に射し込む陽光は穏やかで。
開け放した窓から滑り込んではカーテンを揺らす風も、緑の香りを運んでくる穏やかな時間。
木々の向こうに広がる青空はきれいに澄み渡り、背後の喧騒をひとときでも忘れさせてくれる。
そうだ、今度は2人で、ランチバスケットを持ってこよう。誰と?

そして彼女は溜息混じりに呟く。

「きれいだわ……空」
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by rille | 2008-05-17 22:04 | まりみてSS

あなたにメールを。




「どうしたの?」
「うん、あのね、お願いがあるんだけど……」
「珍しいわね。なに?」
「えっとね……コンピューターって詳しい?」
「うーん、詳しいかどうかって言われると自信ないけど、最近は画像をデータで加工することもあるから、一通りはできると思うわよ」
「ほんとっ?!じゃあ、私にメールを教えて欲しいんだけど」
「メール、ねぇ。いいけど、誰に送りたいの?その前にコンピューターって持ってた?」
「えっと。うん、持ってない」
「……ふむ。いいわ、このPC使っても。フリーメール作ろうか」
「ふりーめーる?」
「無料で作れるメールアカウントのことよ。ま、百聞は一見にしかず。とりあえずやってみましょ。ほら、そこに座って」
「うん!ありがとう」














subject;お久しぶりです。
To;qween@chinensis.rosa.jp
From;hysteric_handkerchief@chinensis.rosa.jp

お久しぶりです、お姉さま。
可愛い妹の悩みを、お姉さまならば必ずや解決に導いてくださるだろうと思い、ご多忙とは存じながらもこうして筆をとりました。

さて、早速ですが、悩みというのは言うまでもありません。
私の可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い(中略)妹である……いけませんね、コンピューターですとコピーペーストという便利な機能があるせいか、どうしてもこのようにクドい表現になってしまいます。それでも私の可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い(中略)妹であるところの祐巳を表現するのに不足はあっても充足することは決してありませんけれども。

そう、私の祐巳についてです。
お姉さまが卒業なさってから、少し寂しく感じながらも私たちは2人の時間を過ごし、愛情を育んできました。
春の昼下がりには2人で日向に寄り添い、夏の夕暮れにはひぐらしの声が並んだ影に染み、秋の放課後は落ち葉を2つの足音が踏みしめ、冬の早朝にはあの子の笑顔で心から暖まり……いえ、もちろんまだ冬は過ごしていませんが。
ともあれ、そのように私は祐巳と時間を共有してきました。
私たちの間にはたとえ同じ薔薇さまの令や志摩子、また祐巳の肉親である祐麒さんでさえ入り込めないほどの、深く静かな愛情があったのです。

何が問題なのか、そうお姉さまは仰るでしょう。
そう、そんな2人のあまりにも強すぎる絆と申しますか、ぶっちゃけ愛情が問題なのです。

あれは……ええ、3日前のことでした。
いつものように祐巳の笑顔を見るために薔薇の館を訪れ、祐巳と一緒の時間を過ごすために私の持てる能力と小笠原の力をフルに利用してほんの数分で仕事を片付け、残りの時間のすべてで祐巳を愛でようと思った時のことです。
可愛い祐巳が私に愛されるのを待っていると思い素早く仕事を終えたつもりでしたが、あの子も連日の不埒な輩から逃れるために……ああ、可愛そうな祐巳、そして憎き盗人ども!
そう、祐巳は相も変わらず毎日のようにその天使の笑顔を拝みたいと分不相応なことを考える愚か者どもに狙われているのです!ええ、祐巳の愛情が私一人に注がれていることを知らぬ、愚かなリリアン生と職員たちに!

いけません、つい興奮してしまいました。
話を戻しますと、そんな毎日の連続に、体力を消耗していたのでしょう。ふ、と見るとあの子は机につっぷしてすやすやと軽い寝息をたてていたのです。
もちろんその寝顔が薔薇の館の住人を魅了してしまったことは、言うまでもありません。
さて、私も祐巳のことを考えて、寂しいですがそっとしておいてあげようと思ったのです。
ところが。
ところが、です、お姉さま!
何と言うことでしょう、私がすっかり祐巳なしでは生きていけないくらいに虜にされているのと同じく、祐巳もまた、私に魂を奪われてしまっていたのです!
私がそっと髪を撫でてあげようとした時、彼女はこう呟いたのです。

「……大好き」と!
大好き、です。大好き、ですよ、お姉さま!
もう……鼻血もんですよ!!

……度々失礼しました。
お姉さま、私の悩みについては、リリアン史上最強と謳われ学史にすら名を残した聡明なお姉さまのことですから、そろそろお察しのことと思います。
そう、私と祐巳の間にある、これほどまでの愛情を、私はどのようにしたらよろしいのでしょうか。
小笠原の力で女性同士の結婚を認める法制定を画策したのですが、何故かお父様とお母様に泣いて止められましたし、では、とお祖父様に私と祐巳だけの無人島を買って頂こうと思ったら、何故か壮大な館を建てて、表札には「小笠原 祐巳」、これはいいのですがその隣にお祖父様の名前が書かれていました。
……もちろん、館は破壊させましたが。
このままこうして祐巳と過ごすことは、2人の愛の深さ故、とても不誠実だと私は思うのです。
祐巳が私を想ってくれる分、私も何かを祐巳に返さなければと思ったからこそ、前述のように小笠原の力を使おうとしたのですが……なぜか祐巳はそういった話をしますと、涙目になって拒否するのです。
その、謙虚で慎ましやかな姿勢に私は益々あの子への愛情を深めていくのですが、そうなるとやはり、私自身がこのままというのに納得できず、という悪循環に陥っています。

お姉さま。
私をまだ可愛い妹と思ってくださっているのであれば、なにとぞご教示のほど、よろしくお願いいたします。













「どう、わかった?」
「う……うん、とりあえず書いてみる」
「ふふ、頑張って」














subject;お元気ですか。
To;yukaihan@foetida.rosa.jp
From;hetare@foetida.rosa.jp

お姉さま、ご健勝でいらっしゃるでしょうか。
ご無沙汰していること、申し訳なく思っています。

今日は是非お姉さまに聞いて頂きたいことがあってご連絡しました。
山百合会は特段不都合なことなく動いています。つぼみたちも、もういつ薔薇さまになってもいいくらいに仕事をこなしますし、新しく入って来た1年生、お姉さまはもう孫のことはお聞き及びかと思いますが、特に紅薔薇のつぼみの妹が私たち以上の働きをするので非常に助かっています。
とは言え、聞いて頂きたいことというのは山百合会のことではありません。
山百合会と無関係でもないのですが……祐巳ちゃんのこと、なんです。

実は3日前、暖かな秋の陽射しに涼やかさが加わって、窓を開け放してもとても気持ちのいい放課後でしたが、そんな陽気のせいでしょうか。祐巳ちゃんがうたた寝をしていたのです。
窓から入る風にツインテールが微かに揺れ、見ているだけの私たちまでも心地よくしてくれる、そう、あれこそ天使と言うのだと思いますが、そんな一服の絵画のような光景でした。
お姉さまたちが在籍していらした頃から変わらず、彼女は毎日のように全校生徒、職員、果ては山寺の生徒たちからの告白攻撃を受けてとても疲れています。
そのことを知っていた私たちは、当然のことながら彼女をそっとしておいてあげよう、と目線で頷きあって諒解を交わしたのです。

ただ、陽射しが暖かいとは言え秋の風は冷えるものですから、私はちょうどたまたま偶然なぜか持っていた、一目一目が職人芸とまで言われたくらいに時間と手間をかけた手編みのカーディガンを、かけてあげようとしたのです。

その時でした。
祐巳ちゃんの、「大好き」という言葉を聞いたのは。

私はきっと、数分くらいは止まっていたかも知れません。
それくらいに衝撃は大きく、そして同時に嬉しさで感極まってしまったのです。
しばらくは呼吸をすることすら忘れる程、感動に浸っていたのですが、はた、と気づきました。
嬉しいのですが、私は祥子を裏切ることになってしまうのではないのか、と。
姉妹の愛情と、その、何と言いますか、こ、ここここ、こい、恋……人の愛情というのが違うということは理解しているつもりです。
祐巳ちゃんを拒絶するなどということは考えたくもありませんし、そんなことはあり得ません。
ですが、ここがお姉さまに「生真面目すぎる」と言われたところなのでしょうか、どうしても気になってしまうのです。

お姉さま、こんな私に是非アドバイスを頂けないでしょうか。
よろしくお願いいたします。














「それで、どうして急にメールなんて?」
「うん。手紙にしようかな、と思ったんだけど『メールでしたらお姉さまといつでも連絡がとれますよ』って言われたから、ちょっと覚えてみようかな〜なんて。えへへ」
「くあ〜〜〜、ちくしょう、可愛いなあ、もう!」















Subject;ご無沙汰しております。
To;ero_oyady@gigantea.rosa.jp
From;black_maria@gigantea.rosa.jp

お久しぶりですお姉さま。
相変わらず女の子を追いかけ回しているというお噂を聞くたび、お変わりないのだなと安心しています。

私はと言えば、乃梨子と落ち着いた日々をゆっくりと静かに過ごしています。
と、ご報告したいのですが、今日は特筆すべきことがありましたのでこうしてメールをお送りしています。

何があったのかと申しますと、驚かないでください……と言っても、私の脳裏には今ディスプレイの前で嫉妬に狂って卒倒しそうなお姉さまが浮かんでいるのですが、実は、遂に祐巳さんと結ばれる日が近づいてきた、ということです。

詳しくお話しすればするほど、お姉さまの狂態が浮かびますので、私もほくそ笑みを浮かべることを抑え切れないのでもちろん敢えて詳しくお話ししますが、あれは3日前のことでした。
いつものように祥子さまが無駄に権力をお使いになられて、することもなく会議室で過ごしていた時です。
連日の、私の祐巳さんを付け狙う薄汚い低俗な輩のせいで疲労が溜まってしまったのでしょう。祐巳さんは窓際の席で眠ってしまいました。
私以外の人に祐巳さんの寝顔を拝ませるのは、祐巳さんの無駄遣いと言いましょうか、それがたとえ山百合会のメンバーであっても勿体なさ過ぎることなんですが、その時の私はまるで私と祐巳さんの未来を祝福してくれているかのような陽気と、眠っている祐巳さんのあまりの愛らしさに寛容な気持ちになっていました。
令さまの目配せが「そっとしておいてあげよう」というものであることはその場にいた全員の気持ちの代弁でしたので、皆はそれに首肯して祐巳さんを鑑賞していたのです。

しばらくは穏やかな時間が満ちました。
けれども、不意に生じた怪異な空気に反応した私が嫌々ながら祐巳さんから視線を外しその原因を目探しますと、なぜか祥子さまが逝ってしまった目をしていました。それ自体はいつものことですし、私も放っておいたのですが、またしばらくすると今度は令さままでが劣情の籠っていそうなカーディガンを抱き締めて固まっています。
まあ、祥子さまと令さま、お二人(とは言いつつ、お二人だけでなくリリアン関係者全員に共通することであるとも、私は理解していますが)の妄想は今に始まったことではありませんので、そちらも放置プレイを決定しました。
ただ、穏やかな陽気とは言っても秋もそろそろ深まろうという頃です。
体が冷えてしまうだろう、と思った私は目覚めた祐巳さんがすぐに暖まれるよう、紅茶をー言うまでもないことですが、山百合会で使われるものとは異なり、私が祐巳さん専用に用意した茶葉・ポット・カップを使用しましたがー用意して、祐巳さんの前に置こうとした、その時です。

ああ、これからのことを報告するに当たり、お姉さまの悔しげな表情が鮮明に浮かび、どうしても高笑いを抑えられません。

祐巳さんは、眠っているにも関わらずカップを置いた私に、「大好き」と。
「大好き」、そう言ったのです。
私はその時ほど、自分の信仰心を自分で誉めてあげたいと思ったことはありません。
あの一瞬のために今日まで生きていた、そして寺の住職の娘でありながらもマリア様を敬仰してきたと言っても過言ではないでしょう。
それほどにあの一言、そしてその時の祐巳さんの表情は蕩けてしまうほどに清純な美しさで満ち、魅惑的であり、私を最大の幸福に至らしめるにあまりあるものだったのです。

お姉さま、申し訳ないのですが私は一足先に大人の階段を登ろうと思います。
とは言え、私も妹として姉の心痛を理解する気持ちを抱えていないわけではありません。ですので、お姉さまには乃梨子でもドリルでも針金でも、お好きなのを誰でも差し上げます。
セッティングもいたしますので、ご遠慮なく申し付けてください。

それでは。










「……ねぇ、聖」
「……わかってる。江利子、あんたもわかってるよね」
「当たり前でしょ。逝くわよ、二人とも」
「字が違ってよ、江利子」
「まあいいじゃないの。とにかく今優先すべきことは……」
「そう、」

「「「あなたち、生かしておかないわよ」」」












Subject;大好き
To;french_doll@chinensiss.rosa.jp
From;kodanuki@glass_camera.mail.com

えへへ、初めてメールしてみたよ。
まだ蔦子さんのコンピューターを借りてるから、夜中にでもいつでも、思ったことを送れるってわけにはいかないんだけど、頑張って覚えてみるね。
えーと、なんか緊張するね。
蔦子さんに「話言葉の方がいい」って言われて書いてるんだけど、ここまででもすごい時間がかっかちゃた。
あれ、なんか変だけど、直せないからごめんね。

あのね、これだけ伝えたかったの。

笙子、大好きだよ。












「メールって、想ったことを想った瞬間に伝えられるのがいいね……って、蔦子さんどうしたのっ?ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「……ああもうっ!祐巳さん、可愛すぎるってのっ!!」












「あら、笙子、携帯鳴ってるわよ」
「え?あ、ほんとだ」
「珍しいわね、学校の友達?」
「うん、多分……あまり教えてないけど」
「ま、教えたくてもリリアンって携帯持ってる子、少ないわよね」
「お姉ちゃんの時でもそうだったんだ……と、あれ?」
「誰から?」
「kodanuki……コダヌキ?……もしかして、お姉さまっ?!」
「祐巳さんっ?!ちょっと笙子、見せて、見せてっ!」
「お、お姉ちゃん待ってよ、私が先に……えーと……はふぅ…………はぅ、お姉さまぁ……」
「きゃあっ?!お、お母さん、救急箱持って来て!笙子が鼻血の海にっ!」
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by rille | 2007-06-08 00:05 | まりみてSS

年末大戦争







それは冬休みに入ったある日のこと。

「お姉さま、これは?」
「ああ、それは捨てていいわ。もう使えないし」
「令はまだ帰って来ないの」
「さっき出かけたばっかりですよ、江利子さま。ていうか、もう飽きたんですか」
「あ、志摩子そこ気をつけて。崩れやすいから……って、うわわわわわっ!」
「お姉さまっ?大丈夫ですか?」
そう、なんとなく想像つくかと思うけれど、薔薇の館は年末の大掃除中。
終業式前後はあれやこれやと何かと忙しく、満足に掃除もできなかったから冬休みの間に集まってやろうということで、受験を控えた薔薇さま方まで集まって。
「大丈夫、聖?ってまあ、あなたのことだからこれくらいじゃどうってことないでしょうけど」
「愚問よ蓉子。むしろ頭でも打って少しでもマシな思考回路になってるかも知れないわ」
「あたたた……あんたら、好き勝手言ってくれるわね」
頭上から降ってきたダンボールやらなにやらに埋もれ、恨めしそうに蓉子さまと江利子さまを睨みながら立ち上がる白薔薇さまがふ、と床についた片手の違和感に気づく。
「おや。これ何だろう」
ずぼっと引き抜いてしげしげと眺めていると、
「ゴミでも見つけたの?……あ、これ」
「面白そうなものなら何でもいいわ。で、何、何?……あら?」
「お姉さま方、まだ掃除は終わっていないんですよ」
「まあまあ祥子、固いこと言わずにさあ……いや、わかったよごめん。ちゃんと掃除しよう」
「は?」
あまりにも意外な聖さまの発言に、祥子さまはそのお美しいお顔をポカーンとさせて。
散らかったものを片そうと集まってきた由乃さんと志摩子さんも同様。
傍で見ていた祐巳だけは、なんとなく感じた悪寒にぶるっと体を震わせた。
「聖、これって」
「……間違いないわね、去年のアレだわ」
「そう、そこで相談なんだけど、(ごにょごにょ)はどう?」
「あらいいわね。でもそれなら(ひそひそ)って手の方が」
「甘いわよ江利子。ここは(こそこそ)が(ぼそぼそ)でしょう。あなたたちだって貰ってないんでしょう?」
「いいね」
「いいわね」
「でしょう?」
にやり。
祐巳は見た。3薔薇さまの目が肉食獣のように輝くのを。
そして理解した。捕食されるのは間違いなく自分であることを。
「お、お姉さま……あの、薔薇さま方が……」
慌てて保身のために祥子さまに話し掛けようとするが、たかが子狸ごときが凶暴な肉食獣に敵うわけがなかった。
「祐ぅ~巳ちゃんっ」
「ぎゃうっ!」
「白薔薇さまっ!まじめに掃除なさるんじゃなかったのですかっ」
「ん?もちろん掃除はするよ、ちゃんとね」
あえなくいつのまにか背後に忍び寄った白薔薇さまに補足され。
その間に、
「(ぴっ)……ああ、令?悪いんだけど掃除が終わったらそのまま忘年会に突入することになったから、その準備もお願いするわね。ええ、そう。いえ、それだけじゃ足りないでしょう。そうね、追加の机と椅子を……4脚くらいかしら、買ってきてちょうだい」
「え、江利子さま……?」
聖さまにしがみつかれ、ぎゃあぎゃあと言い合うお姉さま、そして加わってきた由乃さんとの喧騒の中から漏れてきた黄薔薇さまの会話に戦慄を覚えて何とか祐巳が尋ねようとするも、
「あとは鍋にしたいからカセットコンロと土鍋、それから……う~ん、雰囲気って大事よね。面倒だわ、こたつも買ってきて。わかってるわよ、だから祥子と志摩子、それに由乃ちゃんを増援に向かわせるから。ああ、領収書はちゃんとリリアンで切っておいてね。じゃ」
あえなく会話は終了。会話っていうか、一方的な命令な気もするけど。
通話を終えてぱたん、といい音をさせて携帯を閉じた江利子さまは、これまた今までにないようないい笑顔で振り返ると、祐巳を中心に怪しげな制服の塊と化した一群に言い放った。
「そういうわけで、よろしく」
「何がそういうわけなんですかっ!」
思った通り、噛み付く由乃さんに、
「机に椅子って、何ですか。そんなもの私たちが行っても持って帰れるわけがありません!」
そりゃそうだ。祥子さま、意外と冷静。
「大丈夫、大丈夫。君たちが帰ってくるまでに掃除を終わらせて、ちゃ~んと待っててあげるから」
「そういう問題じゃありませんっ!」
またしても紛争勃発。
頭上が戦争状態となった祐巳はぐったり。
それでも何とか抜け出そうと起死回生の策を提示しようと努力だけはしてみた。
「あ、あの!お姉さま、なら私も手伝いますし、台車を持っていけば何とか……」
「祐巳ちゃん」
ぎくり。
出た、薔薇さま最強のお方の一言。
聖さまや江利子さまには噛み付く祥子さまたちも、さすがに動きを止めて声の主へ振り返る。
ただ、その動きというのが、わきわきとした感じで止まっているのがとてつもなく怪しい。
由乃さんは机を振りかぶっているし、それどころか志摩子さんなんて、いつの間に加わったのか……ってよりも発呪しそうなその手の型は何なんでしょうか、さすがはお寺の娘さん。
と、祐巳が妙な感心をしていると、
「祐巳ちゃん」
もう一度紅薔薇さまに呼びかけられる。
「は、はいっ!何でしょうか、蓉子さま」
優しい声なのに思わず姿勢を正してしまうのは、やはり相手が蓉子さまだから。うーん、さすがは最強の薔薇さま。
「祐巳ちゃんは、この間のクリスマス、祥子にプレゼントをあげたわよね」
「……は、はい」
この先の展開を感じとった祥子さまが固まり、由乃さんがやばい、と言わんばかりの表情でだらだらとガマの油売りよろしく冷や汗を滝のように流す。
「由乃ちゃんは何を貰ったのかしら?」
にっこ~り、と客観的に見れば包容力のある優しい微笑み、当事者から見ればこのうえもなく危険な邪笑いを由乃さんに向ける紅薔薇さま。
「う……猫のぬいぐるみです」
「そう。志摩子は?」
「2人っきりの甘い夜を」
「うぇっ?!」
「志摩子っ?!」
「志摩子さん、何ですって?!」
「冗談ですわ。もちろん昼間です」
ほ~っと胸を撫で下ろすお姉さまと由乃さん。でも、2人きりというのは否定しなかったんだけど、それでいいのかな。
あ、もちろん最初のうぇっという間の抜けた叫び声は、あれは2人だけの秘密なのに、という祐巳の叫び声。
薔薇さま方はさすがにそこに気づいたようで、こめかみにぶっとい筋が立っていたけれど、何とか穏やかに続ける。
「そう、良かったわね……」
「蓉子、それキャラ違うから」
「中の人すら合ってないじゃない」
鋭い突っ込みが白薔薇さまと黄薔薇さまから入るけれど、蓉子さまは涼しい顔して受け流すと、
「それはともかく」
ずびしっ!という効果音が聞こえてきそうなほどに鋭い指さし。
「令にも教えてくれた成果をってことでクッキーを焼いてあげたわよね?なのに私たちは何も貰っていないわ……」
あう。
演技だとわかっているのに、見る者の胸を突き刺すような悲しげな表情で俯き加減に話す。
ていうか、令さまにクッキーをあげたことなんて何で学校にも来なかった蓉子さまが知ってるんだろう。
「いえ、いいのよ。祐巳ちゃんを責めているわけではないの」
「あう……」
それが手だとわかっていても、祐巳に何かが言えようはずもなく。
そしてそれは、紅薔薇さまの手法をよくご存知であり、尚且つそう来ると予測もしていた祥子さまでさえ例外ではなく、言い返したいけど言えないというような表情で苦々しく蓉子さまの独白(?)を聞くしかなかった。
「ただ、去り行く私たちにも……」
が、しかし。
そこで手を抜くほど蓉子さまは甘くなく、トドメとばかりに遠い目をして溜める。
この間の取り方もまた、絶妙。
「そう、思い出が欲しいのよ」
ほんとかよ!欲しいのは思い出か?祐巳の(ピー)とか(ピー)とかじゃなく?
と突っ込みたいのを無理矢理押さえ込む祥子さまと由乃さん。溜め込むのは体に悪いよー、なんて祐巳が言っても火に油なだけだから言わないけど。ていうか、今まさにその祐巳自身がピンチなわけであって。
このまま祥子さまや由乃さん、志摩子さんが紅薔薇さまに陥落されたらそれこそ身の破滅、ぶっちゃけ貞操の危機。
乙女の貞操はそんなに安いものじゃありません。
「あ、あのあの……薔薇さま方にはちゃんと、卒業のお祝いというか……」
何とか頑張る子狸。
白薔薇さまに抱え込まれ祥子さまに腕を掴まれ、由乃さんと志摩子さんを腰や腕にぶら下げる状態では迫力不足も著しいけど、だけどちょっとだけ頑張ってみる。
「そう、卒業の……ね。祐巳ちゃんはやはり優しいわね。でも、私たちはそう、卒業してしまうの」
でも、じゃねぇ。
これは恐らくその場全員の突っ込み。
味方であるはずの薔薇さま方でさえ、そんな目をしていた。
話の前後に繋がりがない、それはわかっているのだが……
「別れは避けられない、それはわかってる。祐巳ちゃんとの楽しい日々は私たちにとって遠い思い出になる。そして祐巳ちゃんにとっては……消え行く記憶でしかないのね」
演技もここまでいきゃ上等。
どんな返しも更に上を行く鮮やかさで自らの説得ポイントに変換していく、恐怖の紅薔薇さま。
さり気なく「思い出」と「記憶」を使い分けている辺り、芸が細かいというか何というか。
それでいて誰にもその不自然さを感じさせないのだから、これはもう、つぼみやつぼみの妹たちの敵う相手ではなかった。
その証拠に、祐巳なんてもうウルウルしてるし。
「そ、そんなことありませんっ蓉子さま!」
はい堕ちた、いや、落ちた。
年輪を重ねて鮮やかさと艶やかさと強かさを完全に我が物にしている紅薔薇さまに、たかが子狸な紅薔薇のつぼみの更に妹が落ちるのは、時間の問題だったのかも知れない。
「なら祐巳ちゃん」
それでもちょっと翳りのある表情を演出することを忘れずに。
「私たちにも……思い出をくれる、のかしら」
きったねぇ……リリアンに通う生徒としてその言葉遣いはどうかと思うけど、それしか言葉が浮かばねぇ。
と、これは祥子さまたちの心情。
そしてその後に続く祐巳の台詞がもう、完全に読めてしまって薔薇さま方はにやり、祥子さまたちはがっくり。

「はい!もちろんです!」








「さあ~て、じゃあ掃除を終わらせようかね」
祥子さまがハンカチをぎりぎりと絞りながら、由乃さんがお下げをぴーんと伸ばしながら、志摩子さんが微笑みつつも怪しい真言みたいなのを口の中で呟きながら出て行った後の薔薇の館で、聖さまがにかっと笑顔を向けながら言った。
「え……あ、ほんとに真面目に掃除されるんですね」
「そうだよ。んー、酷いなあ祐巳ちゃんは。私たちが真面目に掃除しないとでも思ったわけ?」
「あ、いえ、そういうわけでは……って、白薔薇さま?」
「なに?」
「それ、なんですか」
「メイド服」
「……や、それは見ればわかるんですけど」
脱力しながら、とは言え何となくただ掃除するだけじゃないんだろうなあとは思っていたんだけれども。
でもまさか、こんな展開で来るとは思っていなかった祐巳は、次の行動が手に取るようにわかって……まあ、わからない人間なんていないだろうけど、とにかく無駄だと思いつつも何とか助かる手立てはないものかと蓉子さまと江利子さまに視線を走らせる。

……だめだ、これは。
江利子さまは当然のように目を輝かせているし、頼みの綱の蓉子さまもまるで込み上げてくる涎を我慢しているような、そんな表情で祐巳を見つめている。
祐巳は深く溜息をつくと、さてこの窮地をどう逃げ出そうかと算段を始める。
相手は手の動きは怪しいしメイド服に涎を垂らさんばかりに迫ってくる、色情狂(蓉子さま命名)の白薔薇さま、楽しいことを見逃すはずもない黄薔薇さま、最後の砦である山百合会の良心、蓉子さまも頬を染めながらなにやら妄想に入っているご様子。
逃げようもなければ相手が悪すぎて戦うにも不利すぎる。

はあ~……

またしても深く溜息をつくと、悲壮な決意を胸に祐巳は3薔薇さまに向き合った。
「白薔薇さま」
「なーに、祐巳ちゃん」
「……とりあえず、涎を拭いたらどうです」
「あ」
「無様ね」
「蓉子、それ台詞が違う……ていうかあなた今日はそのネタが多いわね」
「放っておいて。……好きなのよ」
「へぇ、蓉子がね。ちょっと意外かな」
「何よ聖。あなただってアニメくらい見たことあるでしょう」
「あるけどさ、ずっと昔の話だよ?それこそ幼稚舎とか初等部の低学年くらい」
「そうよね、私も見てたのはそれくらいの頃かしら」
薔薇さま方の話題が逸れたのを見た祐巳は、これ幸いとじりじりと後じさる。
どうせ正面からいっても敵いっこないのだから、このチャンスを逃す手はない。逃げるに如かず、だ。
薔薇さま方の様子を見ながら、少しずつ扉ににじり寄る。
「えー、でもあれって私たちが8歳の頃じゃなかった?」
「違うわよ聖。もっと前だわ」
「ねぇねぇ蓉子、それよりも私としてはアニメに求めるものが……」
薔薇さまは当初の目的はどこへやら、何故だかアニメ談義に華を咲かせている。
その隙に扉まであと少し、というところまでに辿り着いた祐巳に、不意に薔薇さまが振り返った。
「祐巳ちゃん、どこに行くのかな~」
「まさか私たちが見てない隙に逃げようだなんて思ってないわよねぇ?」
「あら江利子、私の祐巳ちゃんがそんなこと考えるわけないじゃない。ね、祐巳ちゃん?」
でもやっぱりダメだった。
所詮は子狸、猛獣には抗いようもないのか、そう諦めつつ祐巳の体に群がる6本の魔手に、目を閉じて身を堅くする。
(祐麒、お姉ちゃんは一足先に大人への階段を登るからね……)
本日二度目の悲壮な決意を胸に、襲い掛かる魔手を予感し……
「ほぇっ?!」
もの凄い音と共にびっくりして目を開けると、
「……へ?あの、えーと」
累々と横たわる、いや倒れてるお姿もさすがに薔薇さまだけあってどこか品格漂うわけだけど、
「って、倒れてるのに品格もなにもないじゃない」
と自分に突っ込みを入れつつ、改めて目の前の惨劇を注視する。
変わったところと言えば……
まず、薔薇さま方に漫画でしかみないような大きなコブができてる。
それから、椅子が増えてる。
ついでに机も増えてる。
「……机?」
机が増えてるってちょっと異常すぎ。
中央にいつもの大テーブル。そしてその横に転がってる(としか表現しようがない)長テーブル。
と言っても学校の備品にあるようなものじゃなく、それなりに意匠も凝らしてある。
こんなテーブル、見たことない。……と、いうことは。
「祐巳さん、大丈夫だった?」
ぎぎ、と首を回して扉の方を向くと、そこには天使のような微笑を湛えた志摩子さんが立っていた。
「あの、志摩子さん……」
「嫌な予感がして、いえ予感はお姉さまたちの陰謀の時点で明らかだったのだけれど、急いで帰ってくる途中で祐巳さんの貞操の危機を感じたの。それではしたないとは思いながらも走って帰ってきたんだけれど。間に合って良かったわ」
「……はあ、貞操の危機ですか」
確かにそうだったんだけど。
走ってきた、って買い物に行った場所ってすっごく遠いよ?
距離はまだしも、ここに机が転がってるってことは、志摩子さんこれ持って来たんだよね?
机だけじゃなく椅子もあるし、手には重そうな買い物袋まで提げてるよ?
色々と突っ込みたいところは多々あったけれど、とりあえず志摩子さんの言う「貞操の危機」は事実だし、志摩子さんのおかげで回避もできたのだからお礼は忘れないようにしないと。
「志摩子さん、どこから突っ込めばいいのかわからないんだけど、とりあえずありがとう。助かったよ」
そういう祐巳に、
「いえいいのよ。お礼なんて別に。ただそうね、どうしてもお礼をということであれば」
「はい?」
そりゃ助けてもらったんだから、お礼はしたいけれど。
何か随分早口だね志摩子さん。それに嬉しそう……ていうか遊園地に行く前日の子供みたいな、わくわくを抑えきれないって顔してるよ?
「ええ、そう、そうだわ。そのメイド服を着て私と一緒に」
うん、志摩子さん。実はね、何だか嫌な予感はしてたんだよ、私も。
「めくるめくひと時、いえ、一緒に掃除を」
ああ……ごめんね祐麒、お父さんお母さん。
祐巳は悪い子、ってそんな覚えはないんだけど、やっぱり大人の階段を登ることになっちゃいそうです。
「はぁ、はぁ……い、いっしょに……きゃっ?!」
……?志摩子さん?
「大丈夫だった、祐巳さん(ちゃん)っ?!」
ぎゅっと閉じていた目を開くと、そこには薔薇さま方に重なるように倒れ伏す志摩子さんの姿。
そしてお約束のように転がる土鍋。
「……令さま、由乃さん」
「お姉さまからの電話を貰った時点で何か謀ってることは明らかだったんだけど、志摩子からも邪悪なオーラを感じたから」
「私たちも慌てて帰って来たのよ。無事でよかったわ、祐巳さん」
……オーラて。令さま、最近どんな小説をお読みになられているんですか。
やっぱり突っ込みどころが判らなかったけど、ここでもお礼は……うん、口頭でしっかりお礼を伝えておいた方がいいよね。
「令さま、由乃さん、ありがとう。ほんと感謝してる。さ、掃除を……」
「いやだな祐巳ちゃん、お礼なんていいんだよ。でも」
「そうねお姉さま。どうしてもお礼をと言うのなら……」
……えーと。流れから行くと、次はお姉さまなのかな。
それで、その次は3年のお姉さま方で、それから2年のお姉さま方、次は1年生のみんなに最後は先生方で締めだよね、きっと。

そして祐巳は最早悲壮でもなくなった決意というか諦めを胸に、目を閉じた。







「そろそろかな」
祐巳が命名したところのビスケットの扉、その前で蔦子は溜息と共に吐き出した。
冬休み中ということで、さすがに全校の生徒・教職員というわけではなかったのは幸いだ。
それでも一体どこから流出したのか――まあ恐らくは、町中をどたばたと目を血走らせながら走り回っていた山百合会メンバーの様子から推測し、どこからか情報が伝わったんだろうけれど――祐巳のメイド服姿を拝もう、そしてあわよくば一晩中くんずほぐれつ……なんて妄想に駆り立てられたリリアン関係者の屍が、薔薇の館に向かうまでの途中にもごろごろしていた。
その数は薔薇の館に近づくに連れて多くなり、館の中に入るともう、どうやって歩けばいいのか困ったくらいだ。
階段の途中で発見した内藤克美さまの姿には驚いたけど、ま、どんな人物であれこのリリアンにいる限り子狸の悩殺から逃れ得る人間などいないのだから、ある意味仕方ないのかも知れない。

「ごきげんよう、祐巳さん」
ドアを開けると、そこにはやや疲れた表情で座り込んでいる紅薔薇のつぼみの妹。
愛らしいツインテールもどことなくしおれて見える。
「あ、蔦子さん」
「さすがに疲れたみたいね。レベルAなんて連発するから」
「……へ?レベルA?」
「あ、ごめんごめん、こっちの話」
きょとんとした祐巳に、それでも身の危険を感じたら発動される封印奥義があってよかったわね、と心中で呟く。
「大丈夫、祐巳さん」
「え、あ。大丈夫。……蔦子さん、今日はどうして」
「ここに来たのか、って?うーん、まあ、私の祐巳さんレーダーにびんびんきたから、かな」
蔦子の答えにもぴんとこず、ちょっとだけ呆然とした表情の祐巳に近づくと。
「ん……んん……」
「と、やばい。ほら、薔薇さま方が起きちゃうわ。早く帰りましょう」
「蔦子さん?あの、でも私掃除しないと」
「こんなに遅い時間から掃除するつもり?今日はもう仕方ないわよ、さっさと帰らないとこれ以上のレベルA発動は勘弁して欲しいんだから」
というより、薔薇さま方が起きればまた発動される可能性が高いわけで。
近くにいる自分まで巻き込まれてしまっては、安全に祐巳を自宅に送る人間がいなくなってしまう。
これはもちろん、祐巳と蔦子自身の安全のためではまるのだが、それ以上に町の人の安全を守るためでもある。
誰か、特に祐巳の奥義に耐性のある家族か自分が送り届けないと、祐巳がこんな状態では何かあった時に簡単にレベルBくらいは発動されてしまいそうだ。街中で発動されるとどうなるか、リリアン内でさえこうなのだから、想像することすら恐ろしい。
「さ、早く。今日は私が一緒に帰ってあげるから、ね?」
「……ん。なら帰る」
どうやら相当疲れていたらしい。ろれつすら怪しくなっている祐巳に手を貸すと立ち上がらせる。
「ほら、鞄持って。忘れ物はない?」
「うん」
「なら帰りましょうか」

2人が薔薇の館を出、マリア様の前でお祈りを済ませて校門を潜った時にはもう、夜の帳が完全に落ちていた。












そして。

「お姉さま、これは?」
「ああ、それは捨てていいわ。もう使えないし」
「笙子ちゃんはまだ帰って来ないの」
「さっき出かけたばっかりだよ、由乃。ていうか、もう飽きたの?」
「あ、乃梨子そこ気をつけて。崩れやすいから……きゃあっ!」
「志摩子さんっ?大丈夫ですか?」
何だかデジャ・ヴュを感じた。
笙子ちゃんを買い物に出しておいて良かったなあ、と思う祐巳も実のところは良くわかっていないようだった。
別に「紅薔薇」だから弄られるのではなく、祐巳だから弄られるのだから。
そして、
「ごめんなさい、大丈夫よ乃梨子。……あら、これは……」








「はあ、そういうわけなんですか」
「ええ、そういうわけ」
「で、この休み中にも関わらずやたらとリリアン関係者が学園に向かっているこの現象は、去年と全く同じである、と蔦子さまはそう仰りたいのですね」
「そ。で、今年の疲れ切った祐巳さんを最終的に救い出す王子様の役は、妹である笙子ちゃんに譲るよ、ということで」
「それはありがたいのですが……早くお姉さまを助けに行った方がよろしいのでは」
「んー、そっか。笙子ちゃんは妹だから、耐性があるのかもね。でも油断は禁物だよ」
「はい?ああ、お姉さまの最終奥義のことですね。確かに私は毎日それを浴びているようなものですから……」
「あー、ダメダメ。家族や私、それに笙子ちゃんと一緒にいる時は身の危険がないからね。まだ全力じゃないのよ。本気で防御に使った時の威力は……そう、思い出したくもないけれど」
「蔦子さま?」
「彼女の弟さん、知ってるわよね?」
「祐麒さま、ですね」
「ええ、そう。彼が……山寺の生徒たちから祐巳さんを守ろうとして誤射されたことがあったの」
「誤射、って」
「まともに正面から喰らって、一週間、家族によって祐巳さんから隔離されたわ」
「そんなに凄いんですか」
「そう。だからもう少し待ってからね」
「……お姉さまも大変ですね」
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by rille | 2007-01-01 17:44 | まりみてSS

こんな日には。



「祐巳さん」
足元で枯葉が踊っているのが面白くて。つい立ち止まって眺めていたら、後ろから声をかけられた。
「蔦子さん」
ゆっくりと全身で振り返ると、そこに立っていたのは「写真部のエース」が満更自称でもなくなってきた感のある蔦子さんだった。
首から提げた愛用のカメラは相変わらずだったけれど、何故かいつものようにシャッターを切らず蔦子さんはゆっくりと落ち葉を踏みしめて近づいてくる。
微風に靡くスカートがとても秋らしくて。
毎日見ている姿なのに、初めての感覚に捕われてしまう。
不思議な気持ちで眺めていると、
「どうしたのよ、初めて会ったわけじゃないでしょう。今日も一日同じ教室にいたのだから」
笑いながら話しかけてくる。
公孫樹が黄色く色づき、まばらに混じっている楓の赤がアクセントをつける土曜日の秋。
こんな日は、いつもの友達とこうして会っているのもいいな、なんて思いながら祐巳もゆっくりと微笑んだ。


「ううん、何でも。ちょっとだけ蔦子さんが違う人に感じちゃったから」
「なぁに、それ」
「ん、よくわからないんだけど。……秋のせいかな」
「ますますわからないわよ」
そう言いながら責める口調ではない蔦子さんは、やっぱりいつもの蔦子さんだなあと思う。
カメラのレンズと眼鏡と、いつでも2つのフィルタを通して周囲を見つめながら日常を切り取っていくカメラマン。
いつだったか私がそう言うと、蔦子さんは「私のフィルタは真実を透過するためのものだから」と笑ってたっけ。
その時は聞き流していただけだったけれど、確かに蔦子さんの撮る写真は、単なる記録ではなくて記憶になっているんだと最近思うようになった。

例えば……これは複雑な気持ちなんだけど、『躾』。
あの写真も展示された時はただもう恥ずかしさでいっぱいだったから、それにまだお姉さまの妹としてやっていける自信がないこととこれから先への不安でいっぱいだったから、だからじっくりと感慨に浸る余裕なんてなかったけれど。
今思うと、あの写真も私とお姉さまの出会った風景というだけでなくて。
あの時はただ驚きしかなかったと思っていた私だったけれど、じっと見ているとただそれだけじゃなかったんだな、と自分の気持ちまで蘇ってくる。
お姉さま、あの当時はまだ「憧れの紅薔薇の蕾」に朝から会えた、しかも声をかけて頂いただけでなくタイまで直してもらったという喜びとか、何て白くてきれいな指なんだろうと思ったこととか、意外と自分も冷静だったんだなあって。
それはこうして紅薔薇の蕾となってから見ているからだ、って由乃さんや瞳子ちゃんあたりには言われてしまいそうだけど、たとえ後付けで思い出したことだって大事な思い出のひとつ何じゃないかなと思うから、やっぱりそれもある意味で蔦子さんの言う真実なのかも知れない。


「今日は写真、撮らないんだ」
今日一日、蔦子さんがカメラを構えるシーンをあまり見ていないなと思った私が言うと、軽く笑ってカメラを撫でながら答える。
「そんなことないわよ。ただ、私は写真に焼き付けたい光景と私の記憶にとどめておきたい風景とを分けているだけ」
「違うものなの?」
「他人にはわからない違い、かな。そうねぇ……ほんとうに大事な思い出は自分の心の中にだけしまって置きたい、そんな気持ちって祐巳さんにはない?」
逆に聞き返される。
けれど、不本意ながら言われるいつもの「百面相」を必要としない質問だった。
「うん、ある」
お姉さまとの出会いの写真から思い出した記憶、あれは私の中だけのもの。
だからみんなに「今となっては、ね」と苦笑されても全然気にならない。
あくまで写真から受けたものだから、蔦子さんの言ってることとはちょっと違うのかも知れないけれど。
私がそう言うと、
「いいんじゃない?それで」
「そう、なのかな」
「うん。で、今の祐巳さんは私の中にだけしまっておきたい祐巳さんだったってこと」
「……ただぼうっとしていただけなんだけど」
思わず苦笑してしまう。
蔦子さんは私から見ると恥ずかしくて仕方ないような表情をいい、と言うような人だからちょっと私の感覚とは違うのかも知れない。
「祐巳さんは自分のことをよくわかってないからね」
「うーん……」
「思い出に解説を付けるのは本意ではないけど。枯葉を見ながらぼんやりしていたかと思うと、ふと楽しそうに微笑んだりする祐巳さんは、とても可愛かった」
「か、可愛いって……」
自分と同じ女子高生を好きな蔦子さんだから、まあ今更何を言っても「蔦子さんだしなあ」で済んでしまうんだけど。
そうは言っても同じ女の子、クラスメイトに面と向かって「可愛い」なんて言われるのはやっぱり慣れない。
不思議だな、聖さまやお姉さま、それに由乃さん志摩子さん、瞳子ちゃんに可南子ちゃん。要するに山百合会の大半の人にも言われるけど、蔦子さんに言われるのとは少しだけ違う気持ちがする。
何でだろう、他の人に言われるとからかわれてるって気がするだけなのに。
どきどきしてしまって。
そう、まるで男の子に言われてるみたいな……感じ?
いや、もちろん男の子に言われたことなんてないんだけれど。





2人でマリア様に手を合わせると、並木道を正門に向かう。
歩き始めたところで、思い出したように蔦子さんが言った。
「そう言えば」
「なに?」
「さっきのあれ、結局何だったの?」
「あれ?」
「ほら、『違う人みたい』ってやつ」
「ああ、あれね。うん、何だったんだろう?」
「私が聞いてるんだけどな」
苦笑する蔦子さんを見て、そうだね、と答えてちょっと考え込んでしまう。
思い出させられてしまうと気になってしまうから。

枯葉が雪みたいに降っていて。
遠くから聞こえる部活動の音が微かに夏よりも澄んだ空に響いて。
お姉さまや山百合会の皆には悪いけれど、何となくこんな日は独りでいるのもいいなと思っていた。
理由がないのに訳もなく独りでいたい時ってあると思う。
それは別に、いつものメンバーが煩わしいということではなくて、そしてもの悲しい気分だからというわけでもなくて。
マイナスな意味でなく、プラスの意味で。
今まではあんまり思ったことなかったんだけど、今日はそういう気分だった。
「独りで過ごすこんな時間もいいな、と思ってたところに蔦子さんが来てね」
「あら、それは悪いことしちゃったかしら」
きっと蔦子さんはわかっているんだろうな。
だって、笑っているもの。
だから私も笑って答える。
「ううん、そうじゃなくて。空がとってもきれいで澄んでて、赤や黄色がそれに溶け合って。そんな時間の中にいる自分が好きになるっていうか」
「おー、祐巳さんって詩人?」
「へ?からかわないでよ、もう」
茶化してくる蔦子さんを軽く睨んで、
「いつものリリアンなんだけどちょっとだけ特別な時間のような気がして。でもね、ずっとこうしているのもいいなって思ってたのが段々と、ああ、誰かにも見て欲しいな、こんな時間をって思って」
もったいなくていつもより足をゆっくりと動かす私を、蔦子さんは穏やかに微笑んだままゆっくりと歩調を合わせてくれている。
「そうしたら蔦子さんが来て。落ち葉と風の中にいる蔦子さんが何だか……とってもきれいで」
「照れるぜ」
「親父っぽいなあ、蔦子さん」
思わず声を上げて笑ってしまう。
自分が恥ずかしいことを言ってしまった照れ隠しもあるんだけど。
私の笑い声に蔦子さんのが重なって、少しの間足を止めて2人の唱和を高い空に乗せて上げる。





「結局、何となくってことね」
「そうかも。うー、私、ほんとに国語力ないなあ」
「そういうわけじゃないんじゃないかな。祐巳さんは百面相だから、気持ちを言葉にする前に察せられてしまうんじゃない?」
「……確かにそうかも」
「だからあんまり気持ちを言葉にする必要がなくて。それでこんな時に困ってしまうだけだと思うわ」
ああ、何て的確なお答え。
蔦子さんは敢えて言わなかったんだろうけど、私もお姉さまも思っていることを相手に伝えるのが下手だ。
言葉に出して言わないからすれ違って。
これ以上ないほど落ち込んでしまったりしたのは今年の夏の初め。
そんな状態を救ってくれたのは……
「でも、それが祐巳さんだから。私にとってはそれでいい」
「え?」
どういうことだろう?
素直に「どいういうこと?」って聞けばいいんだろうけど、何となく躊躇われてそのまま疑問の視線を蔦子さんに向けるだけだった。
そんな私をよそに、ふと蔦子さんはカメラと並ぶトレードマークの縁なし眼鏡を外した。









怜悧で聡い祐巳さんに、どんな価値があろう。
私にとっての祐巳さんは、子ダヌキで抜けていて明るくて百面相で、とても繊細だけれどそのせいで傷ついてしまっても立ち直れる強さを持っていて。
夏が似合うと言う人もいるけれど、私にはこんな静かな秋の方が祐巳さんには似合うと思う。
夏。
祐巳さんにとっても紅薔薇さまにとっても大きな出来事を乗り越えた記念すべき季節なんだろうけど、以前と違って「妹」としての祐巳さんや「姉妹」としての紅薔薇より祐巳さん個人に興味が移っている最近の私は、心でシャッターを切ることが多くなっていた。
その分、私の中の祐巳さんはどんなフィルタも通さない、生の姿で記憶されていっている。
ただ明るいだけじゃなくて。
脆いところもあって、それでもそんなところを隠したりしないで寂し気な雰囲気を薄く纏った祐巳さんは、こんな秋の日が一番似合うのだと。
だからさっきも私はカメラのシャッターを切らなかった。

きっと私は、祐巳さんが好きなのだ。
それがどう意味の「好き」なのかまだわからないし、これからもわからないかも知れない。
ただ、被写体としての祐巳さんを今の私は見ていない。
それだけははっきりしている。
だからこうしてこんな場面で祐巳さんに会えたことは、素直に嬉しい。
きれいで、という言葉と違う人みたいと言う言葉の間にも、普通なら気にするか突っ込むところなんだろうけど、私は祐巳さんをよくわかっているしこういう時に突っ込みを入れるのは私以外に山ほどいる、隠れ祐巳さんファンのクラスメイトの役割だから。
彼女たちはそうして困った様子をしたり慌てふためいて訂正する、「百面相」祐巳さんの明るさに惹かれている人たち。
でも私は、被写体としての祐巳さんを見なくなってから、軽い会話の中に見えるほんとうの祐巳さんが好きだから。



「照れるぜ」
「親父っぽいなあ、蔦子さん」
ほら、そうして笑う祐巳さんがとても可愛らしくて。
いつものように前向きな祐巳さんもいいんだけれど、こんな時間には少しだけ寂しげで透明な祐巳さんの明るさの方が似合う。
これは私と祐巳さん……それからもう1人いるとすればあの人だけが過ごせる時間。
こんなに落ち着いた祐巳さんとの時間を過ごせるのは特権だから。
2人してひとしきり笑うと、私は問いかける。
「結局、何となくってことね」
「そうかも。うー、私、ほんとに国語力ないなあ」
そう言って薄く笑う祐巳さん。
けれど国語力の問題というよりは、
「そういうわけじゃないんじゃないかな。祐巳さんは百面相だから、気持ちを言葉にする前に察せられてしまうんじゃない?」
「……確かにそうかも」
「だからあんまり気持ちを言葉にする必要がなくて。それでこんな時に困ってしまうだけだと思うわ」
独りで写真を整理していると、様々な祐巳さんに出会う。
笑っている祐巳さん、むくれている祐巳さん、悲しげな祐巳さん、困っている祐巳さん……どれも祐巳さんだ。
でも私にとっての祐巳さんは、あの人と一緒に微笑んでいる祐巳さんが、あの、空を高く見せる透き通った秋の空気のような微笑みを湛えた祐巳さんが、私にとっての祐巳さんだ。
ころころと表情の変わるのは見ていて楽しいけれど、その中からほんとうの祐巳さんを見つけ出せる人がどれほどいるのだろうか。
確かに表情から祐巳さんの気持ちを推測することはできる。
でも、こんなに儚げに笑うこともあるのだということを、いったいどれだけの人が知っているだろう。
表情の変化に惑わされて。祐巳さんの気持ちを推測することで祐巳さんをわかった気になっていたのは私も同じだったけれど。
「でも、それが祐巳さんだから。私にとってはそれでいい」
そう、私だけが知っている祐巳さんはそう簡単に見つからないから。
祐巳さんが「百面相」のあだなを持っている限り、それに惑わされる人は沢山いるのだろうから、これは私の特権。
「え?」
私の言葉が意外だったのか祐巳さんが疑問の眼差しを投げてくるけど、私はそれには答えず。
こんな日にはフィルタを通さない祐巳さんを見ようと、眼鏡を外した。



「あ」
と、祐巳さんが小さく声を上げる。
それは枯葉の音に掠れて消えてしまうほどの小さな呟きだったが、私の耳は聞き逃さなかった。
「どうしたの?」
「目がね」
「眼鏡?」
私が聞き直すと、祐巳さんは一瞬だけきょとんとした表情をした後に笑いだす。
「あ、そっちの方じゃなくて。私が言ったのは『目が、ね』って意味」
「ああ、そういうことね。それで?」
先を促す私に、
「蔦子さんの目がね、よく似てるの」
「似てる?誰に?」
私の質問は、高い秋の空の向こうへ。
祐巳さんは微かに微笑んで答えなかった。
そして私もそれ以上は聞かなかった。
2人とも、わかっていたから。

私も久しぶりに、あの人と祐巳さんの姿を見てみたい、そう思った。









「あら、こんなに近くだったのね」
在学中もあまり通らない道だったからわからなかった。
この角を曲がると、
「ここを抜けるとあの道、なんだ……」

ちょっとした用事で友人の家へ来ていた私は、行きは駅まで車で迎えに来てくれたので帰りの道を聞いた。
帰りも送ってくれるという申し出を断ったのは、ここがリリアンの近くであるということはわかっていたからリリアンまでの道を教えてもらえれば問題ないと思ったし、それにこんな晴れた秋の空の下、歩かないのは少しもったいない気がしたから。
リリアンの正門前を通る道に出た私は、ふと懐かしくなって一番近いバス停を素通りしてリリアンへ向かう。
行ってどうなると言うわけでもない。
卒業した以上、無闇に構内に立ち入るのも遠慮される。
けれど、何となくあの公孫樹並木が見たくなった私の足は、自然とそちらへ向かってしまっていた。

学園の塀沿いに歩いていくと、向こうに黄色く色づいた木々が見える。
懐かしい光景だ。
ゆっくりと歩みを進めながら、私は思い出をなぞる。
山百合会、クラスメイト、楽しかった日々。
そしてそれなりに充実していた高校生活に、更に彩りを加えてくれたあの子のことを。

……そうだ。
自分が弱い人間であることを知っていたから、なるべく近づかないようにしていたという方が正解に近いのかも知れない。
あの子の傍にいると、それだけで満足してしまうから。
雰囲気が溶け込んで、周囲の風景や時間とひとつになる、そんな心地よさを共有できるのはあの子といる時だけだから。
どうしてだろう、と考えてみたこともある。
けれど答えは決まって、感情と同じように人と人の関わり合いに理由などない、に行き着くだけだった。

通いなれた道を歩き、正門が近づいてくると切ないような泣きたくなるような、不思議な気持ちになっていく。
私も弱いな、そう思いながら塀沿いを歩き、やがて。


「でも、それが祐巳さんだから。私にとってはそれでいい」
正門もすぐそこ、という時になって微かに声が聞こえた。
単なるリリアンの生徒ではなく、小さいけれどそれが私にとってもけして軽い存在ではない少女のものだと気づくのは一瞬のことだった。
まだ声は小さい。それならば、もうしばらくは談笑しながらこちらへ近づいてくるのだろう。
そう思った私は足を止めていた。


「どうしたの?」
「目がね」
「眼鏡?」
「あ、そっちの方じゃなくて。私が言ったのは『目が、ね』って意味」
「ああ、そういうことね。それで?」
「蔦子さんの目がね、よく似てるの」
「似てる?誰に?」
一緒に聞こえてくる声は、忘れもしない祐巳ちゃんの声だ。
それも即座にわかってしまった私は、踵を返そうとしたが思いとどまった。
そうさせたのは、恐らく祐巳ちゃんではなく蔦子ちゃんの声が一緒だったからだろう。



『弱いものだわ。それはもちろん、私もね』
なぜこんなことを蔦子ちゃんと話したのだろう。
それはもう定かではないし、思い出す必要もないような気がする。
大事なのは、私がそれを機に自分の弱さを見据える覚悟と受け入れる心積もりができたということ。

たまたま教わった道がリリアンに近かったから。
母校を見て懐かしさを感じたから。

そんな理由であるわけがない。
卒業してから何年も経っているわけではないし、高校時代を懐かしむといったことも私にはなかった。

『弱くていいと思います。それを知っているから、祐巳さんは他人に優しくできるんだと思いますから』

そうだ。
だから私は遠回りでもこの正門へと向かったのだ。
心のどこかで、あの子に会えるかも知れないと思ったから。
会いたいと思ったから。
そうだ、私は祐巳ちゃんが好きで。
だから会いたくて。


何となく物悲しげなこんな季節のこんな日には。
彼女に会いたくなってしまうのだ。
どうせ人は一人では生きられないということをよく知っている、そしてそのことを私にも蔦子ちゃんにも言葉でなく教えてくれた、人に優しくなれるあの子に会いたくなってしまって。
我慢する必要はない。マリア様の庭を出て、ちょっとだけ世間で頑張ってみている私への、ご褒美にしてみてもいいかも知れない。

だから、会って行こう。
そうだ、ここで待ち伏せして彼女たちの驚いた声で公孫樹の枯葉を舞い散らせるのも、秋の昼下がりの一興になるだろう。
近づいてくる足音とお喋りを耳にしながら、私は知れず微笑みを浮かべていた。






そう。
ちょっとだけいつもと違って、ちょっとだけいつもより優しい気持ちになるのだ。
秋色に満たされた、こんな日には。
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by rille | 2006-12-14 02:11 | まりみてSS

オレンジ

そうだ、きっと夕焼けのせいだ。







「では、今日はここまでにしましょうか」
ほとんどの日が紅薔薇さまの言葉で打ち切りとなる。
それをきっかけにして1年生が後片付けを始め、薔薇さまや紅薔薇のつぼみ、黄薔薇のつぼみは帰り支度をする。
最初に帰宅するのは、黄薔薇姉妹。
「じゃあ、私たちはお先に」
「ごきげんよう」
由乃さまに妹がいないので、誰かを待つ必要がなく残ったメンバーの「ごきげんよう」を背にビスケットの扉――これは私のお姉さまが命名したものであって、別に正式名称ではないのだけれど――を潜って帰って行く。
次に立ち上がるのは紅薔薇さま。
気を遣って下さっているのかそれともほんとうにお忙しいのか、それはわからないけれどお姉さまと一緒に帰ると決めている木曜日以外は私たちを待つことはない。
「私もお先に失礼するわね。祐巳、笙子ちゃん、また明日」
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、紅薔薇さま」
立ち上がり、鞄を持ってノブに手をかける仕草すら優雅に見せてしまう紅薔薇さまは、黒髪を輝かせながらごきげんようの声を残して去っていく。
この頃には洗物も終わって、白薔薇さまと乃梨子さんが、
「では私たちもこれで。ごきげんよう祐巳さま、笙子さん」
「ごめんなさい、戸締りを宜しくね」
西洋人形と日本人形。
或いは、どこか幻想を感じさせる白薔薇さまと徹底したリアリストの乃梨子さん、この2人が全く異なる雰囲気で、けれど2人一緒にいることがとても自然に思えてしまう不思議な空間を作りながら去ると、静かな部屋に私たちだけが残される。

私とお姉さまは、こうしていつも、ほんの少しの時間を会議室で過ごす。
窓際の席に座って外を眺めるお姉さまの隣に腰掛けて、そのまま声をかけずに視線を同じ方向へ流す。
秋の陽は短く、もう窓の外は茜色に染まりかかっていた。
紅葉にはまだ早いが、木々は緑の中に紅く点を描いて今年の秋の足音がもうじきであることを教えてくれる。
薄いカーテンを揺らす風がお姉さまの髪を微かに揺らし、私は視線を外からお姉さまの横顔に移した。

「秋も深くなっていくんだね」
ぽつり、と呟くように発した言葉が窓から射し込み始めた西陽に溶ける。
「お姉さまは秋は嫌いですか」
何となく言葉に寂寥感が混ざっているように思えて、少し意外に感じながら私はそのままを口にした。
春の陽射しのようにみんなを明るく暖かい気持ちにさせるお姉さまは、けれどこうして私と2人だけの時はちょっとだけ寂しげで。
それは寂寞としたものではなく、息吹の始まりを感じさせる春があるのならばその終りを予感させる秋もあるのだということを知っている、始まりに含まれる終りを常に身近に置いているようなそんな淋しさを考えているように見える。
だから私は初めてお姉さまを意識した……マリア祭の時からずっと、お姉さまには秋が似合うと、そう思っていた。
そんな私の質問に、お姉さまは視線を外から外さずに、
「ん……好きだよ。どうして?」
「いえ、ただ何となくそう感じたので」
「そうかな」
「そうです」
「うん……」
曖昧に言葉を濁すと、再び静寂が訪れる。

私はこんな時間が嫌いじゃなかった。
お姉さまも私も、ほんの少しの会話しかなくて。
ただ風が髪を撫ぜる音と、静かに揺らめく陽射しと、思い出したように落ちる葉だけで満ちた静寂。
沈黙が痛くない。
こうして2人で過ごしているだけで、沈黙はとても優しい。

お姉さまを春に例える人たちは――結局のところ大半の生徒がそうなのだが――きっと、すべての始まりである時間、それが紅薔薇のつぼみと過ごす『残り』の時間を感じさせないことを望んでいるからなのだろう、と思う。
「なぜか」、そんな理由を追求することは不毛であることだけは確かなことだが、山百合会の中でも紅薔薇のつぼみの人気は群を抜いていて、最初の頃は妹という立場さえ不安定に感じて私は揺らいでいたものだった。
そんなお姉さまと一緒に過ごせる時間を、『これから』と感じるか『もう少し』と感じるかの違いは、これは人との関係では須らくそうなのだろうけれどとても大きいものだろう。
その人の季節のイメージを固定することで淋しさから逃れられるのであるのならば、私だってそうしたい。
けれど、私は紅薔薇のつぼみの妹だから。
いつでも前を向いていて、私を包み込んでくれるお姉さまの妹だから。
歩いてきた足跡を振り向いてばかりではいけない、そう思う。
過去も未来も、すべてを含んだ現在こそが愛しいと、苦悩や懊悩を包み込んで乗り越えて、そうして歩いてきた道のりのすべてを内含した時間がこの体の中に流れているのだと、そう考えられるようになりたい。
お姉さまのように。

「ね、笙子」
陽射しはだいぶ傾いて、お姉さまの横顔を照らしている。
会議が終わってからそれほどの時間は経っていないけれど、私には短くも長くも感じられない時間だった。
それは時間を無視しているのではなくて、こうして過ごす一秒一瞬を流れではなくて積み重なりとして捉えようとしているからなのかも知れない。
「はい、お姉さま」
私の返事に、お姉さまはあれから初めて視線を私に向けた。
「私ね、秋は好きだよ」
さきほどと同じ言葉の繰り返し。
けれど私は素直に頷いた。
同じ繰り返しなんて存在しないから。
私にはお姉さまの言葉も何もかもが、新しいものだから。
「笙子は秋が嫌いなの?」
「え?」
突然の質問に、思わず気の抜けた声で返してしまった。
さっきまでの会話で、そんなことを話しただろうか。
それとも、ただ私の質問に対して純粋にお姉さまも知りたいと思っただけなのだろうか。
答えはあるけれど、ついお姉さまの意図を考えてしまって返事が遅れた。
けれどもお姉さまはそんなことを気にする風でもなく、
「永遠なんてあり得ないけれど、でもだからこそ、移り変わる季節がきれいだと感じられるよね」
「……それは、季節すべてが好きだってことですか」
「うん。全部の季節が好きだけど、私は特に秋が好きだよ。少し寂しく感じることもあるけれど……今までの時間とこれからの時間が交差する、そんな気持ちになれるから」
さあっ、と風が吹いた。
カーテンが部屋の中ほどまで満ちてきた茜色をかき混ぜる。
さっきまでの会議の時間と、こうして2人きりで過ごす時間がくるくると回って溶け合う。
「だからね」
ふ、と笑うと、
「笙子と過ごさなかった、笙子が過ごしてきた時間と私が過ごしてきた時間。これから2人で一緒に過ごしていく時間。私の中で時間が一緒になって、ああ、これからなんだな、って思うの」
「お姉さま……」
夕陽の中で微笑むお姉さまを見つめながら、ああ、やっぱりこの人だ、と私は思った。
私をこんなにも嬉しく穏やかな気持ちにしてくれる、この人が私のお姉さまなんだ、と。
そして私もお姉さまにそんな気持ちになって欲しいと。
リリアンに姉妹制度があるのは、だからなのかも知れない、そう思う。
与えるだけでなく、与えられるだけでなく。
出会うまでの時間をすべてお互いの中に取り込んで。
これからの時間を共有して、一緒に生きて行く。

秋の夕暮れが窓辺から近づいてくる。
風に香りが乗っている。
大きく吸い込んで、私は今できる精一杯の笑顔をお姉さまに向ける。

「はい、お姉さま。私も、秋が大好きです」







「それからね」
「はい?」
「笙子の顔が夕陽に染まるのが、とてもきれいで見とれてしまうから」
「な、なっ……?!」
「あ、紅くなった。ほんとに可愛いね、笙子は」
「あ……紅くなってなんかいませんっ!これは、そう、これは夕陽のせいですっ」
「笙子にはオレンジがとっても似合うね」
「もう、お姉さまっ」
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by rille | 2005-10-16 13:02 | まりみてSS

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その2はこちらからどうぞ。




†秋†

「お待ちなさい」
振り返った先に、私が一方的に見慣れた顔を見つけた秋の始まり。
「私……ですか」
「呼び止めたのは私で、その相手はあなた。間違いなくってよ」
きっかけを得た喜びと、間近で見ることの混乱が錯綜して私はその後、どんな返事をしたのか覚えていない。
気がついたら胸のリボンが直されていて、
「はい、できた。身だしなみはきちんとね」
にっこりと微笑む天使の笑顔が、崩れそうに見えて。
爽やかな朝の始まりから、この人はこんなにも強がっているのか。
ひび割れて、誰が見てももう崩れ落ちる寸前にまで追い詰められていることが明らかであっても、この人はそのことを認めようとしない。
周囲の人たちも救いを拒絶するその態度に、手をこまねいて見ているしかない。
そしてそれがこの人の孤独をより一層深くしていく。

だから、私は諦めない。
「お待ちください」
スカートの裾を少しだけ翻して立ち去ろうとした紅薔薇のつぼみを、私は呼び止める。
何かしら、そう開きかけた彼女の口から言葉を発せさせずに私は。

「私を妹にして頂かなくてもいいです。お手伝いとして傍に置いてください」

唖然としたあの人の表情を、私は忘れられないと思う。
その顔を見ながら私は、ああこの人もこういう瞬間だけは全ての苦悩から解放されるのかも知れない、と何故かそんなことを考えていた。
開きかけた口から発する言葉を捜すでもなく、きっと彼女自身について交されることのなかった「妹」という単語を久しぶりに聞いたことと、それ以上に意外な「お手伝い」という言葉に混乱したままどう答えたらいいのかわからない。
表情にはそう書かれたまま、マリア様から一歩離れた場所で呆然と立ちすくむ紅薔薇のつぼみ。
でも、私は必死だった。そしてそれ以上に本気だった。
他人が他人を救うことなんてできない。
それをわかった上で、私はこの人を救いたい。
いや、救えなくってもいい、救えないかも知れない、もしかしたら二人で倒れてしまうだけかも知れない。
けれど、少なくともその時、この人は独りじゃない。
私が傍にいるのだから。
それが何がしかの意味を持つのか、そしてそんなことが孤独でないことの証明足り得るかなんてわからない。
何の意味も持たず、結局私たちは全てを拒絶したままそれぞれが個として崩壊していくだけなのかも知れないけれど、だけど私はこの人の傍にいたいし、その瞬間にこの人を独りにしておくことだけは防ぐことができる。
私は、これ以上ないくらいの笑顔で、混乱したままのこの人に。

「ただお傍に置いて、お手伝いをさせてください、祐巳さま」
「笙子、ちゃん……」
「知ってくれていたんですね」
「……うん。ごめんね、さっきまで思い出せなかった」
「いいんです」
仕方がないから。
紅薔薇のつぼみの妹になった瞬間からたくさん傷ついて、ひとりで受け止めて、我慢して。
初等部の頃から挨拶だけだった関係の私を、知らなかったのは仕方のないことだから。
勇気を出して、中等部の時に自己紹介をした時のことを今になったとしても、思い出してくれたことだけでも嬉しいから。

「もう、ひとりで傷つかないでください、祐巳さま」
もういいんです。
ひとりで耐える必要はないんです。
私が傍に……何もできなくても、祐巳さまの傍には必ずいますから。
今でもこうして自分と祥子さまとので出会いを、再現してしまうほどに祥子さまのことを許してらっしゃっていたとしても、そしてそのことがより一層祐巳さまを苦しめているのだとしても。
「これからは、ずっと私がお傍にいますから」
だから。

もう、泣いてもいいんですよ、祐巳さま。

「笙子ちゃん……笙子ちゃんはずっと、私を見ていてくれたんだね」
笑いながら涙を流していた雨上がりも。
止まらない鮮血を隠し続けていた放課後も。
壊れた心の欠片を集めることを諦めた真昼も。

「ごめんなさい祐巳さま。私……約束を守れませんでした」
「ううん、いいんだよ笙子ちゃん。私だって」
「でも……でもっ!怖かったんです、私。祐巳さまが私を拒絶されるのではないかと」
「ばかね、笙子ちゃん。……ううん、ばかなのは私ね、きっと。こんなにも私のことを想ってくれる人が、こんなにも近くにいたのに」

ああ。
私はこの人のためなら、どんなことでもできるだろう。
舞い上がった私の戯言を、思い出してくれたこの人のためならば。
そして私は、逆上せ上がって思わず口をついた言葉でも。
それが決して嘘偽りではないことをこれからの一生で示すだろう。

「笙子ちゃん。受け取ってくれる……かな」

そしてそんな私が見ていたことを、知っていてくれたことに。
私は私の全霊を賭けて答えるだろう。

「はい……お姉さま」











†ある秋の夕暮れ†

『さよならー』
『うん、さよおなら』
『しょーこちゃん、ゆみさんも。リリアンでは「ごきげんよう」ってゆーのよ』
『あそっか、ありがと、つたこさん』
『えーと、えーと……ゆみさま、ごきげんよう』
『ごきげんよう、しょーこちゃん』





『えっと、内藤……笙子さん、だよね』
『は、はいっ!』
『どこかで……会ってたかな』
『え?えーと、どうでしょうか。幼稚舎からリリアンですけど』





『ごきげんよう、祐巳さま』
『あ。え、と。笙子ちゃん?』
『ふふ、はい、そうです』
『あ、ご、ごめんね。私記憶力弱くて』
『覚えていてくれたじゃないですか』
『うん、まあ……あ、そっか今日から中等部なんだね』





『ご卒業おめでとうございます、祐巳さま』
『ありがとう』
『あ、あのっ』
『うん?』
『わ、私……私、高等部に行ったら必ず祐巳さまのお傍にいけるよう頑張りますからっ!』
『?あ、うん……別に頑張らなくても大丈』
『で、では、ごきげんようっ!』
『って、もういないし……』










†紅薔薇の系譜†

「それで、私はどんな役割を担ったのかしら?あなたのシナリオでは」
「蓉子さまに対してそんな不遜な」
「韜晦しなくても結構よ、蔦子さん」
「あ、あはははは……さすがに蓉子さまの目は誤魔化せませんか」
ばつ悪そうに頭をかくと、蔦子はティーカップに手を伸ばす。
指摘した蓉子も、その口調は柔らかく別段怒っているようには見えなかった。
「シナリオなんてありません。ただ私は、祐巳さんが傷ついても……壊れてしまなわければそれで」
「ふふ。傷つくことすら嫌なくせに。素直じゃないわね」
祥子の様子は聞き知っていた。
確かに祐巳を連れて行ったが、それは祥子を立ち直らせるためというよりは事をできるだけ早く穏便に済ませたかったからという理由の方が大きい。
いずれ破局するだろうと思い始めたのは、卒業して数ヶ月、聖からそれとなく祐巳のことを聞いた辺りからだったろうか。
卒業前、祐巳に祥子のことを頼んだのは本心からだったし、祐巳ならば祥子を支えてくれるとも思っていた。だが、それは祥子もまた祐巳の影響だけでなく、自分から気がついて変化していくことが前提だったのだ。
「自分から変わろうとしない限り、ほんとうの意味での成長は遂げられないものね」
「他人からの影響だけではダメってことですか」
蔦子の言葉にすぐには答えず、蓉子は温くなった珈琲を口にした。

「ただ甘やかされていたり、自分の環境にもたれかかっていてはダメ、ということよ」
だから、二人の関係が壊れてしまうのならば、手遅れになる前が良かったのだ。
祥子も祐巳も、二人して壊れるくらいならいっそ……祐巳が壊れる前にやり直させて、それによって祥子がまた成長すればよし、その時では無理であるのならばその後の時間は長ければ長いほどいい。
それだけ祥子の考える時間が増える訳だから。
だから、
「まあ、あそこで祐巳ちゃんを連れて行けばどうなるかなんて、わかっていたしね」
依存しきった祥子を見た祐巳がどう思うのか。
そして自分を傷つけた理由を知って、祐巳が蔦子と同じ想いに行き着いたとしてもそれはごく当たり前のことだろう。
ただ、蔦子と違うのは、蔦子が祐巳さえよければいい、ということに対して祐巳は他人でもそんなに簡単に割り切れるような人間ではないということ。それが姉であるのならば尚更だ。
そして……

「蔦子さん、あなた、志摩子たちがどう動くかもわかっていたんでしょう」
カップとソーサーの触れ合う音が高く響く。
蔦子にはそれが、誤魔化そうと思うのならそうしてもいいのよ、という蓉子の意思表示に聞こえた。
苦笑すると、
「まあ、何となくは」
その返事に満足したのか、蓉子は微笑みを浮かべた。
「いいわ、祐巳ちゃんのことは当分、蔦子さんと笙子ちゃんに任せましょう。私には祥子を見守ってあげなきゃいけない義務があるしね」
「微力を尽くします」
おどけた口調の中にも、真摯なひと欠片が含まれているのを感じて、蓉子は満足した。
「でも、祐巳ちゃんに何かあったら……」
「わ、わかってます!」
おー、怖。
蔦子はその言葉を隠した。
蓉子の溺愛ぶりは祥子のそれを遥かに上回る。
笙子もまたしかり。
黄薔薇姉妹に隠されてあまり目立たなかったが、ここ最近の紅薔薇のつぼみとその妹の熱々ぶりは新聞部の真美をして「やってられないわ」と言わせしめた程なのだから。
そして、
「あら、もうこんな時間ね。そろそろ行かないと祐巳ちゃんとのデートの時間に遅れてしまうわ」
やれやれ。
この言葉も、やはり賢明な蔦子は口にはしなかった。
遅れる、と言っても
「まだ1時間はありますよ?さすがに祐巳さんもまだ来ていないのでは」
「わかっていないわね蔦子さん。祐巳ちゃんが先に来て、変な男にナンパでもされたらどうするのよ。常に先に着いて祐巳ちゃんが占めるであろう空間の周囲5mから妙な輩を排除しておかなければならないでしょう。それに……」
柔らかい雰囲気が消える。
それにおどおどしながらも、蔦子は言葉を返した。
「……聖さま、ですね」
「そうよ、ほんっと、諦めが悪いんだから」
その時、窓の外に笙子の姿を見つけた。
ちょうど出る準備をしていた蓉子には見えなかったようだが。
「……紅薔薇一家ってのは、ほんとに……」
「何かいったかしら?」
「いえいえいえいえっ!」
ぶんぶんと首を振りながら、駅前の待Ӗ5;合わせ場所に集合して威嚇し合う3人の姿を想像して蔦子はげんなりした。
「じゃあ、またね。ああ、ここの支払いは気にしなくていいから」
「はあ、ありがとうございます。ごきげんよう、蓉子さま」
想像だけで疲れた蔦子に、遠慮する元気はなかった。
勇んで出て行く後姿を追いながら、

「まあ、祐巳さんが元気になるなら、いっか」

意外と無責任な蔦子であった。
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by rille | 2005-10-03 00:38 | まりみてSS

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私には祐巳さんの笑顔だけである。
それはどんな質問に対しての答えなのか、と聞かれれば「自分の存在について」と答えるだろう。
そう、私が存在するに足りる理由とは、祐巳さんが笑っていてくれること。
笑っていなくてもいい。
祐巳さんがそこにいれば、傷つかなければそれでいいのだ。
どうして、いつからなどという疑問は抱いたことがない。なぜなら人を好きになることに対して、それほど無意味な質問はないから。
「蔦子さまはどうなさるおつもりですか」
「そうねぇ……って、心臓に悪い登場の仕方はやめなさいってば」
ひと気のない温室、そこに突然響いた私以外の声は、
「笙子ちゃん」
「すみません」
苦笑しながら私の隣に腰を下ろす。
「それで、どうするってのは何?」
「言葉の通りですが」
しれっと言い切る彼女だって、内心は穏やかでないに決まっている。
それよりも問題なのは、
「どこで聞いたの」
「先月、病院で。叔父が入院しているんですよ、そのお見舞いに行ったらちょうど蔦子さまたちが見えたので」
「盗み聞きは感心しないなあ」
「たまたま聞こえてきただけです」
「たまたま、ね」
「はい。たまたま、です」
まあ、そういうことにしておこう、と思う。
実際の話、笙子ちゃんがどういう経緯で聞いたのかは問題ではないのだから。
問題は、先月のあの時以降の祐巳さんにある。
「それにしても、意外なことになりましたね」
意外なこと。
それは私の手元にあるリリアンかわら版号外が知らせてくれている。

『紅薔薇姉妹、破局』

視線だけをその文字に流して、笙子ちゃんは呟くように言った。
「予想はしていましたが」
「まさか現実になるとは、ね。しかもその結果はまさしく私の予想の斜め上を行ってるわ」
「そうならないように蔦子さまが動かれると思っていました」
その口調に非難はない。
祥子さまの事情を知って、それでも私が祐巳さんに何かしらのアクションを起こさないことを知っていたかのようだった。
「私はね、祐巳さんが一番なのよ」
わかっている、というように頷く。
それだけを見て私は話を続けた。
「だけど、それは私が祐巳さんに何でもかんでも口を出すということではないわ。私にとっての祐巳さんが一番である理由は、どんな状態からでも自力で抜け出せる強さと私が介在しないことによる彼女自身の輝きが問題なんだから」
「蔦子さまがそこに入っては祐巳さまの輝きが失われる、とでも?」
今度の彼女の口調には、わずかばかりの非難が含まれていた。
私は苦笑すると、
「そうじゃないわ。私以外の誰でも同じこと。祐巳さんは……そう、志摩子さんや他の薔薇さま方と違って外見が目立つわけじゃないけれど、内面から溢れ出る輝きで満ちている。それは自分を照らすものではなくて、他人を照らすもの。だから、祐巳さんに私自身が介入してしまうと私までが祐巳さんに巻き込まれてしまうもの」
「巻き込まれてはいけないんですか」
「そうね、少なくとも私は」
「どう」
どうして、と開きかけた口を制して、
「私も誰かに祐巳さんを支えてもらいたいと思っている。だけどそれは私じゃないの。私は祐巳さんを眺めていたいし、誰かが客観的に眺めていないと必要なときに必要なものを祐巳さんに差し出してあげられないから」
「なるほど……佐藤聖さまをけしかけたのも、水野蓉子さまを連れていらしたのも」
「さあ?何のことかしら」
惚ける私に、笙子ちゃんは笑った。
「まあ、いいです。蔦子さまが祐巳さまを想ってらっしゃることがわかっただけでも」



ただ、事態はそれで収まりはしなかった。
夏休み直前、どたばたとやってきた真美さんは写真部のドアを乱暴に開けると言い放った。
「蔦子さんっ!これ、どういうこと?!」
「淑女らしくないわよ。ていうか、第一声がそれ?」
「それどころじゃ……っ!」
何を思ったか、外に出てドアを閉めると、ノック3回を2セット。
それから静かにドアを開けて、
「ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。何もそこまでしなくても」
苦笑する私に、彼女はぶすっとしたまま返す。
「蔦子さんに淑女云々を言われたくなかったんだもの」
そう言うと、私の前につかつかと歩み寄り手にした紙切れ……恐らく誰か新聞部員のメモなのだろうが、それをひらひらとさせながら詰め寄ってきた。
さっき折角おしとやかに入室し直したのが台無しだってば。
「それより、これは事実なわけ?」
「なにが?」
「これよ、これ。さっきうちの部員が拾ってきたネタなんだけど、『紅薔薇さま両立』、さあ、どういうことか説明して!」
「説明してって言われても。情報は新聞部が一番早いことが自慢じゃなかったの、真美さん」
「紅薔薇一家以外ではね。幾ら私だって祐巳さん絡みのことで蔦子さんより情報が早いだなんて思ってないわよ」
「そうは言われてもね」
言いながらメモに目を走らせる。
<紅薔薇さま両立・残留は祐巳さま、正式な選挙×・名目上変更は不可・未だ祐巳さまは祥子さまを?・松平沈黙・山百合会の総意で残留決定・本人へ>
よく調べたものだ、感心する。
「これは誰が?」
「日出実、うちの1年生。それはいいから!」
「なるほど、立派な後継者が育ってて羨ましいわ。うちなんて2年も1年も2人ずつだしね」
「蔦子さん!」
「はいはい、わかってます」
正直、触れたい話題ではない。
けれどもこのままでは収まりがつかないだろうし、真美さんに話しておけば新聞部は抑えてくれるだろうから、祐巳さんがそこからの不躾な質問攻めに会うことはないだろう。三奈子さまなら引退していても関係なく首を突っ込んできそうな話題だが、それも真美さんが留めてくれるだろうし。
結局、次善策として真美さんに知っておいてもらう方がいいような気がする。
「書いてある以上の情報は知らないわ」
空いている席に座るよう視線で促すと、真美さんは大人しく従った。
「あれから祐巳さんのおかげで祥子さまが立ち直ったのは知っているでしょう?」
「もちろん。前以上に姉妹の仲が深まったことだって」
「それが間違い」
「え?」
きょとんとする真美さんの表情はなかなか見られるものではない。
少しだけおかしくなって思わず表情に出すと、今度は真美さんの表情が硬くなった。
慌てて話題を戻す。
「志摩子さんや由乃さんは気付いていたみたいだったけどね。祐巳さんがどんな想いをしたと思う?祥子さまがどれだけ沈んでいようとそれは自業自得。そんなことでほだされるほど祐巳さんは甘くないわよ。蓉子さまのお願いもあったし、校内を騒がせることを避けたかったから表面上、祥子さまや松平瞳子さんとすら仲良くしてみせただけ」
「そんな……」
「そんな、なに?」
「祐巳さんはそんな冷たい人じゃ」
「ない、とでも言うわけ?あなたが?なら真美さん、あなたは1学期の間ずっと一緒にいて何も祐巳さんのことをわかっていなかった、ということね」
つい口調が厳しくなってしまった。
荒げた声に、真美さんの体がびくっと反応する。
「ご、ごめんなさい……」
「……私の方こそ、ごめん。でもね、何も言わずにわかってくれなんて、虫のいい話でしょう」
「それはそうね。でも、どう見ても」
「うん、祐巳さんは変わらなかった。以前よりも祥子さまと仲良くしているように見えた。そう、ただそういう風に見せていただけ」
笙子ちゃんはより深くわかっていた。
見せていた、だけでなくその深くに隠していた傷さえも。
笑顔の裏で、常に祐巳さんが涙を流していたことさえも。
「でも、志摩子さんと由乃さんが許せなかった。あの二人は祐巳さんを悲しませるもの全てを許せないから。だから山百合会には祐巳さんが必要だと判断した」
あれから、祥子さまは薔薇の館に顔を出していない。
過労と栄養不足がたたって、登校はしているものの山百合会の仕事はパスさせてもらって授業が終わるとすぐに松平瞳子と迎えの車で帰宅している。
いつかは体調も戻って復帰できるのだろうけれど、その前に彼女たちが動いたのだ。
「だけど、正式な選挙を経ているのはあくまでも祥子さまだから、紅薔薇さまの称号は彼女のために存在している。祐巳さんはあくまでも紅薔薇のつぼみ、姉妹を解消したわけではないし……まあそもそもそんなことは祥子さまが許さないだろうけれど」
「祐巳さんは?」
「さあ、どうかしらね」
「わかっているんでしょう、蔦子さん」
じろり、と睨まれるが私は白を切りとおすことにした。

そう、わかっている。
他人を完全に理解することが不可能であることを知っていて、だからこそ祐巳さんの理解者であろうともう10年以上も努力しているのだ。
祐巳さんがロザリオを返さない、そんなことくらいわかっている。
でも、だから辛い。
これ以上祐巳さんが傷つくのをただ傍観していることが。
それでも今の祐巳さんに必要なのは私ではないことを知っているから、そう、そうやってわかったようなことを言いながら自分が触れることによってこれ以上祐巳さんを傷つけてしまう可能性を回避している、卑怯な自分を憎みながら、それでも動けずに立ちすくむだけの自分が。
私なんかよりも、ずっと志摩子さんや由乃さんの方が祐巳さんの支えになっている。
祐巳さんがどう思っていようと、少なくとも行動としては祐巳さんを少しでも明るい、以前の山百合会に関係する前の祐巳さんに戻そうとしてくれている。
彼女たちはそうすることによって祐巳さんを傷つけてしまうかどうか、そこまで考えているわけではないだろうけれど、掛け値なしの善意を受けて、結果がどうあれ祐巳さんがそういった行為を嬉しく思わないはずがない。
だから私は卑怯だ。

「蔦子さん。祐巳さんはどうなるの」
それこそ新聞部のあなたの方が予測は立てやすいんじゃないの、そう思ったけれど今の真美さんは珍しく混乱していて情報をインテリジェンスにまで昇華させることはできそうになかった。
「次の選挙に出なければ、一般の生徒に戻るだけね。姉妹については……そうね、どうせ明日には祥子さまの耳に入るだろうけど、松平瞳子が何かしら動くでしょ。解消はしないと思うけどね」
「それなら」
「ただそれだけ、よ」
「それだけってR30;…」
絶句する真美さんに、けれど私はごく当たり前のように言葉を続ける。
「それだけ。志摩子さんたちはどうやっても選挙に出させようとするでしょうし、祐巳さんがそれを断りきれるとは思えないから、来年には紅薔薇さまにはなっているんじゃないかしら」
予測を言うことはあまり私の主義ではないんだけれど、真美さんも大事な友人のひとり。
新聞部のネタを提供するわけではなくて、混乱している真美さんに考える時間を与える意味もあってとりあえず私は予想されることを淡々と続けた。
「妹を作らない、というのはきっと、こういうことを予想していたんだと思う。祐巳さんが自分の妹に対して同じことをするとは思えないけれど、万が一ということを考えたんでしょうね。だからマリア祭の時に言っていたのも本音だと思うわよ。それに……」
ちら、と壁に視線を流す。
つられたように真美さんも同じ場所を見て、表情を変えた。
「祐巳さんは……」
「うん。祥子さまのことを嫌ってはいないわ。信じてはいないでしょうけど」





†二学期†

休みの間考えていたのは、祐巳さまのこと。
蔦子さまに指摘されるまでもなく、あのヴァレンタインイベントに忍び込んだ時から……いや、そのずっと前から私の目は祐巳さまを追っていたのだと思う。
自覚していたかどうかはわからないけれど。

『あ、祐巳さま。ごきげんよう』
『うん、ごきげんよう』

覚えているかどうか、それはわからない。
けれど私は祐巳さまにだいぶ前に会っているのだ。

『おはよーございます』
『おはよー』

初等部の頃から。
はっきりと自覚したのは高等部に入ってから。
私の目は蔦子さまを探しているようで、実際のところは同じクラスの祐巳さまを追っていた。
『笙子さんって、紅薔薇のつぼみのファンなのね』
『そう?別に誰のファンとかはないと思うのだけれど』
『そうだったの、ごめんなさいね。いつも祐巳さまを見ていらっしゃるようだったから』
『あ、それは……ちょっと。祐巳さまと同じクラスの、ほら武嶋蔦子さまを見ていたから』
『蔦子さまを?』
『ええ。ちょっとした知り合いというか』
『……そうかしら?私には祐巳さまを見ているように見えたのだけれど……だってほら、今だって2年松組のお姉さま方』
『え?』
『蔦子さまは前の方で写真を撮っていらっしゃるけれど、笙子さんは列の中、祐巳さまの方を』
『……あ』

まいったなあ。
それは本音だった。
実を言えばこんなに嵌ってしまうとは思っていなかったから。
初等部の頃から知ってはいたけれど、たまに挨拶を交す程度の、ただの同じ学校の生徒であるという認識でしかなかった。少なくとも祐巳さまの認識ではそうだったろう。
ヴァレンタインのイベントであの人なつっこくて愛らしい表情の方が、紅薔薇のつぼみの妹として参加しているのを見て、ああ、あの人の魅力に気付く人もいたんだな、と少しだけ寂しく感じたことは覚えている。
その頃はまだ祐巳さまも溌剌としていらして、昔のままの笑顔を元気に振りまいていたから、そのこと自体は祐巳さまにいい影響を与えたんだと思って嬉しくも思っていたのだけれど。
高等部のマリア祭で見かけた瞬間に何かがあったんだと気付いた。
みんなが茶番劇の余韻で浮かれている中、あの方だけは寂しげな表情でぽつんと取り残されていた。
いや、祐巳さま自身がその喧騒から身を離していたと言った方がいいだろう。
その日は体調でも崩されているのか、そう思ったけれど、マリア様の前で祐巳さまの表情に浮かんだ翳りに気付いてしまったから。
だから私はもう祐巳さまから目を離せなくなってしまった。
あんなに元気で明るく、気付かないうちに私の視線を吸い込んでいった笑顔に浮かんだ、暗い影。
原因はわからなかったけれど、そうさせた何かを私は許すことができなかった。
自分自身、そこまで祐巳さまに惹かれていることに気がついて、呆然としてしまったけれど。

「そうでしょうね。祐巳さんってば、知らない間に人をたらしこむんだから」
「つ、蔦子さま……その表現はちょっと」
「あはは、ちょっとリリアン生らしくなかったかな」
「ちょっとどころではありませんけどね」
蔦子さまも恐らくそのうちの一人なのだろう。
そして白薔薇さまや黄薔薇のつぼみ、そして紅薔薇さまだってそうに違いない。
「それにしても意外だったわね」
「……はい。でも、紅薔薇さまのやられたことはともかくとして、あの方もやっぱり祐巳さまのことを好きでいらしたんですね」
「そりゃそうでしょうね。祥子さまの祐巳さん溺愛ぶりは他の姉妹に引けを取らないほどだったもの。ただ、だからと言ってやったことが許されるわけではないし、いえ、だからこそ許されないことなんだけれど」
蝉の鳴き声も遠くなってきた。
今年は秋が早いのかも知れない。
夏休みは終わったばかりだというのに、心持ち涼しくなった風が吹き抜け、太陽は低く私たちを照らしている。
「姉妹って、何でしょうね」
ふ、とそんな疑問が口をついて出た。
「さあ。私は姉妹を作らない主義だから……どうかしらね」
「紅薔薇さまはどうして祐巳さまを離さないんでしょう」
「山百合会という拠り所をなくしてしまった以上、あの方を繋ぎとめる絆は、もう祐巳さんにしかないからじゃないかしら」
「松平瞳子さんがいますが」
「……レベルが違うわね」
私の疑問に、次々と簡潔に答えていく蔦子さまだが、その答えがほんとうに的を射ているかどうかは私には判断できなかったし、それは蔦子さま本人も同じなのではないだろうか。
疑問を出していく私自身も、いったい何が知りたいのか、わからなくなってきた。

遠くで蝉の鳴き声。
涼しい風。
伸び始めた影を見つめながら、きっと蔦子さまも祐巳さまのことを考えている。
「笙子ちゃんは、祐巳さんを諦められないのね」
突然、蔦子さまが口を開く。
私は黙っていた。
「祐巳さんがマリア祭の後言った……『妹を作らない』、気になっている」
否定はしない。けれど肯定もしない。
それは私にもわからないことだったから。
祐巳さまのその言葉が怖いのか、それとも自分が祐巳さまに不要であると知ってしまうのが怖いのかわからなかった。
「けれど、誰かが祐巳さんの傍にいてあげないと、このままではいけないとも思っている」
「それは私ではないかも知れません。白薔薇さまや黄薔薇のつぼみもいらっしゃいます」
「それが本心?」
「………………………………いいえ」

一瞬だけ、蝉の声が止んだ。

「それで、諦めるの?」

そんなこと。

「紅薔薇のつぼみは、ほんとうは弱い方だから」
そんなこと、できるわけがない。
私はあの人を大好きで。
あの人がどんなに頑張っていても、周りの人たちを元気付けたり明るくしたり頑張ろうという気にさせたりできても、あの人自身が少しずつ壊れていくのをただ見ていることなんて。
妹にはなれないかも知れない。
支えてあげられないかも知れない。
この人には自分がいなくては、そう思えるほど傲慢でもない。
けれど。

「ただ傍にいて、あの人の痛みを少しでも代わってあげられることができるのなら」

私は、どんな苦痛にも耐えられるだろう。





続く
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by rille | 2005-10-03 00:36 | まりみてSS

Let me love you





私はばかだ。
拒絶されることを恐れる余り、あんなに大切な約束を忘れてしまっていた。
見ているだけで満足しようとしている自分を演じて、大事なことを守れなかった。

だから、これからは誓約。
決して破らない、破られることのない誓いとして。

私は、あの人をひとりにしないことを。
誓おう。













「初恋って、実らないのよね」
月曜日はそんな話題から始まった。
他愛もない年頃の女の子の、毒にも薬にもならないような。
そんな、どうでもいいおしゃべりだったのだ。
どういう経緯でそういった会話になったのか、それまで話を聞くともなく聞き流していた私にはわからないし、言った本人にも何ほどの意図もなかったのだろう。
それでもやはり私たちも普通の女子高生に過ぎなかった。
一般的な、と言っていいのかどうかはわからない、いやもしかしたら他の高校生よりは少し遅れているのだろうとは思うけれど、それだからこそ、この程度の話題にも食いついてしまうのだ。
そこには、中等部からの持ち上がりが多いとは言え、新しいクラス、友達に早く慣れたいという気持ちも働いていたのかも知れないけれど。
「でも、どれが初恋なのかってわかるものかしら」
「あら私は覚えているわよ」
どこからを初恋と言うのか、わからなかった私も何となく会話に加わってみた。
「例えば親戚のお兄さんに憧れることも、初恋に入るのかしら」
別に、そんな事実があるわけではない。
ただ何となく口にしただけだったのだが。
「入るんじゃない」
「そう?私ははっきりと恋だと自覚した最初を言うのだと思っていたのだけれど」
友達はそれをきっかけにしてますます「初恋は実らない」というジンクスの話題に没入していったが、私はどこか醒めた頭で初恋の定義も明確でないのにそんなジンクスは成立するのだろうか、とぼんやり考えていた。





「あ、ほら紅薔薇のつぼみ……」
初夏の訪れは、そんな溜息にも似た言葉と共に告げられた。
幼稚舎からリリアンである私にとって、単なる生徒会役員というだけでなく全校生徒の手本となるべき山百合会の薔薇さま方は憧れだった。
その中でも伝統的に中心となることが多く最も多くの尊敬と憧憬を一身に受ける紅薔薇さま、その妹である紅薔薇のつぼみであればただ歩いているだけでもこうして溜息を漏らさせる。
けれど、今年の紅薔薇のつぼみに対する溜息は、例年とは少し違っていて。
もちろん去年は高等部にいなかった私に、「例年」と言えるほどの経験があるわけではないけれど新聞部発行の「リリアンかわら版」を中等部の頃から読み漁っていたことによる聞きかじりの知識くらいならば持っていた。
「相変わらず素敵ね」
「ええ、でも……」
特にその溜息は1年生に多い。
それも仕方のないことで、まだ妹を持っていないつぼみに寄せられる関心はどこかに必ず「もしかしたら自分が」と山百合会の一員になれる希望を含んでいるものだから。
2、3年生もお近づきになりたいとは思っているだろう。山百合会のメンバーと友人であるというだけで周囲の見る目は異なるし、一言、二言話しただけでもリリアンでの学校生活の記念となり得る。
それくらいに薔薇さまの存在、そして意味というのは大きいものだから。
だからこそ紅薔薇のつぼみに対しての溜息というのは1年生に多くなるのだ。
紅薔薇のつぼみが憧れであり現薔薇さま方を抜き去るほどの人気を誇っていることは、誰もが認めるところであるし、それでいて嫉妬されることのない天性の何かを持っている。
けれど、だからこそ。
だからこそ彼女の一言がリリアンに大きな波紋を生じさせることとなったのだ。
ただでさえ問題発言と取られる内容であるのに加え、それを発言したのが全校生徒憧れの的である紅薔薇のつぼみであるとなれば。
5月に行われたマリア祭後の新聞部によるインタビューに答えた紅薔薇のつぼみは、それからは単なる憧れだけでなく溜息をその身に受けることとなったのだ。
新聞部も結果的には酷な質問をしたのだと思ったけれど、よく考えればそれはマリア祭という1年生を迎える行事であったことから、ごく自然な質問ではあった。
問題は、その質問に対して正直すぎた紅薔薇のつぼみにある。
大騒ぎとなったリリアンを横目にそれまでと変わらない紅薔薇のつぼみを見て、本気で言ったことだったのかと疑われた時期もあったが、今では既に諦めと嘆きの中でそのことが受け止められ、事実となっている。

そして、長い雨があがった後に事実は二つに増えた。

「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう」
溜息をつきつつ、それでも紅薔薇のつぼみに声をかけていく1年生。
そんな彼女たちに周囲の者を魅了せずにはいられない雰囲気を纏いながら挨拶を返す紅薔薇のつぼみ。
そして自分もお祈りを済ませるとマリア様の前を去っていく。
そこにはいつもと変わらない朝の光景が広がっていた。
けれど。
お祈りの後でマリア様を見上げた視線の中に、いつもと違う寂しさを見つけたような気がして。
私は朝のお祈りも忘れて、いつまでも紅薔薇のつぼみの後姿を追っていた。





「それで、諦めるの?」
二学期は悲嘆で明ける。
辛いと思うけれど。
「紅薔薇のつぼみは、ほんとうは弱い方だから」
そして私は、私だけはそのことを知っているから。
だから、もし私がそうでないのだとしたらせめて支えてあげられる人が現れるまでは。
せめて彼女の負担を軽くしてあげよう。
変な期待は持たない。
何も望まない。
ただ、私が彼女の傍にいたいから、彼女を守ってあげたいから。
だから私は、あの人の傍にいることを選ぶのだから。
あのマリア様の前で見せた、一瞬の寂しさを含んだ笑顔が、ほんとうの笑顔に変わるまで。
私はあの人を……





「お待ちなさい」
振り返った先に、私が一方的に見慣れた顔を見つけた秋の始まり。
「私……ですか」
「呼び止めたのは私で、その相手はあなた。間違いなくってよ」
きっかけを得た喜びと、間近で見ることの混乱が錯綜して私はその後、どんな返事をしたのか覚えていない。
気がついたら胸のリボンが直されていて、
「はい、できた。身だしなみはきちんとね」
にっこりと微笑む天使の笑顔が、崩れそうに見えて。
爽やかな朝の始まりから、この人はこんなにも強がっているのか。
ひび割れて、誰が見てももう崩れ落ちる寸前にまで追い詰められていることが明らかであっても、この人はそのことを認めようとしない。
周囲の人たちも救いを拒絶するその態度に、手をこまねいて見ているしかない。
そしてそれがこの人の孤独をより一層深くしていく。

だから、私は諦めない。
「お待ちください」
スカートの裾を少しだけ翻して立ち去ろうとした紅薔薇のつぼみを、私は呼び止める。
何かしら、そう開きかけた彼女の口から言葉を発せさせずに私は。

「私を妹にして頂かなくてもいいです。お手伝いとして傍に置いてください」

唖然としたあの人の表情を、私は忘れられないと思う。
その顔を見ながら私は、ああこの人もこういう瞬間だけは全ての苦悩から解放されるのかも知れない、と何故かそんなことを考えていた。
開きかけた口から発する言葉を捜すでもなく、きっと彼女自身について交されることのなかった「妹」という単語を久しぶりに聞いたことと、それ以上に意外な「お手伝い」という言葉に混乱したままどう答えたらいいのかわからない。
表情にはそう書かれたまま、マリア様から一歩離れた場所で呆然と立ちすくむ紅薔薇のつぼみ。
でも、私は必死だった。そしてそれ以上に本気だった。
他人が他人を救うことなんてできない。
それをわかった上で、私はこの人を救いたい。
いや、救えなくってもいい、救えないかも知れない、もしかしたら二人で倒れてしまうだけかも知れない。
けれど、少なくともその時、この人は独りじゃない。
私が傍にいるのだから。
それが何がしかの意味を持つのか、そしてそんなことが孤独でないことの証明足り得るかなんてわからない。
何の意味も持たず、結局私たちは全てを拒絶したままそれぞれが個として崩壊していくだけなのかも知れないけれど、だけど私はこの人の傍にいたいし、その瞬間にこの人を独りにしておくことだけは防ぐことができる。
私は、これ以上ないくらいの笑顔で、混乱したままのこの人に。

「ただお傍に置いて、お手伝いをさせてください、祐巳さま」










†梅雨の始まりと終り†

色んなハプニングが用意されたマリア祭は、私たちにも楽しみではあった。
白薔薇さまである志摩子さんと乃梨子ちゃん、二人の間を取り持つための1年生の演技から大団円へ。
それ自体は私にとっては茶番に過ぎないし、まあそれでも楽しくはあったけれど「どうでもいい」ことでしかなかった。
もちろん、事前に祐巳さんから聞かされていなかったら、大喜びでシャッターを切りまくったことだろう。
けれども、その日、私のカメラが映し出したのはそんな茶番劇ではなく。
まるで映画を見た後のように興奮している生徒たちの間で、独り醒めた表情で寂れた笑顔を浮かべる祐巳さん、ただひとりだった。





「それにしても、まさかあんな答えが返ってくるとは思わなかったわ」
まだ信じられない、という風にこれで何度目かの同じ言葉を呟く真美さん。

白薔薇さまにつぼみができた。

マリア祭での収穫はこれだけだと言ってよかっただろう、私にとっては。
けれども校内の情報を司る(と真美さんは言っている)新聞部にとっては「それだけ」とは言えないことは、私にだってわかる。
姉が3年生で卒業してしまったことから、今年薔薇さまの称号を継いだとは言え、志摩子さんは私たちと同じ2年生だ。
つぼみである祐巳さんや由乃さんと同じ、2年生。
薔薇さまとつぼみという称号の違いから、白薔薇さまは今年はできる限り早くつぼみを必要としていたことはわかるが、それがいち早く実現したつまり1年生の妹を作ったとなれば、つぼみであるかつぼみの妹であるかは別として、やはり同じ2年生である祐巳さんや由乃さんの妹問題が盛り上がることは必定なわけで。
当然にように、その場で祐巳さんと由乃さんにインタビューを申し込んだ真美さんが尋ねたのは、これまた当たり前の質問。

『では、妹について。お二人には妹の候補として目をつけている1年生はいる?』
クラスメイトとして砕けた口調だが、もちろん原稿では修正されるのだろう。
真美さんは妹を作るということを前提として話をしたが、これは当たり前のことだったと思う。
だから由乃さんもごく普通の答えを返したのだ。
『そうね、まだ決められるほど1年生のことをよく知っているわけではないからわからないけれど。これからできるだけ接する機会を持ちたいと思っているわ』
『うーん、つぼみとしては当然の答えかも知れないけど……もうちょっと情報が欲しいわね』
『そんなこと言われても、いないものはいないわよ?』
『さっきのマリア祭で目につく子がいたとか、ない?』
『それは祐巳さんの方じゃないの』
あまりいい印象は持っていないのだろう、由乃さんはそれが誰だとは言わなかったが、私も真美さんも今日のマリア祭で大立ち回りをしたあのドリルみたいな髪型の子だということはわかっていた。
視線を移すと、やはり気を遣ってかその子のこととは明確にしないまま真美さんは祐巳さんに尋ねる。
『祐巳さんはどう?気になる1年生とか、いない?』
『へっ?私?えーと……』
幼稚舎からの付き合いである私には、もう既にピンときていた。
だからこのインタビューもできれば止めさせようと思っていたのだけれど、祐巳さん自身があっさりと「いいよ」なんて言うものだから、止めさせようがなかったのだ。
この時もまた、私は視線で真美さんを制止したのだが、新聞部の質問としてこれ以上自然なものはない。
そこにいる部員たちの興味も加わって、質問をなかったことにするなんてできよう筈もなかった。
『私は』
いきなり振られたことによる動揺は、一瞬で終わった。
次の言葉が予測できる私は、その言葉を祐巳さんから聞きたくなかったのに。

『私は妹を作らないと思うから』



「どうしようかしらね、これ」
困った、という顔でメモをひらひらさせる真美さん。
インタビューの終わった新聞部の部室では、他の部員たちも真美さんと似たり寄ったりの状況で、手を動かしつつも驚きと呆然の狭間にあるような表情をしている。
ただ真美さんは本当に困っているから独り言に逃げた、というわけではなく、質問という形で私に投げているのだ。
祐巳さんとは長い付き合いだけれど、私にだってすべてを理解しているわけではない。
いや、他人を理解することなんて決してできやしない。
それでも私は祐巳さんが好きだから。
だから祐巳さんがこのインタビューで何を問われるかを承知したうえで受け、そしてこの答えを言った真意について考えてみて……真美さんに答えた。
「発表してもいいと思うわよ。いえ、寧ろ祐巳さんはそれを望んでいると思う」



嫌なことは重なるものだ。
雨の中を駆けていった祐巳さんの先に前白薔薇さまである佐藤聖さまの姿を認めた私は、足元の水溜りが靴の中までを濡らすことを構わず並木道の脇、茂みの向こうを正門に向かって駆け出していた。
「祥子さまっ!」
ちょうど迎えの車に乗り込もうとしていたところを追いついて呼び止める。
横にあの1年生を従えた祥子さまは意外そうな顔もせずに、
「何かしら」
といつもの笑顔を浮かべながら振り向いた。
そもそもからして祥子さまを責める気なんかなかった。
ただ苦しんでいる祐巳さんを見て、何もせずに傍観していることは到底できないから、真意を尋ねたかっただけ。
だけど、その笑顔の裏に浮かぶ表情を見て、それすら聞く気を失ってしまう。
この人も苦しんでいる。
祐巳さんを傷つけてしまった自分と、そしてどういう理由があるのかはわからないけれど今その祐巳さんに優しくしてあげられない自分に。
「……送ってさしあげるわ。ただ、用事に少しだけ付き合って頂いても構わないかしら」
何を言おうか迷っていた私にそれだけを告げると、返事も聞かずに乗り込む。
1年生は既に車中で待っていた。
この先の展開が読めてしまった私は、一瞬乗るかどうかを躊躇ったけれど、祐巳さんを苦しめている原因を突き止めることが最優先と考え、開いたままのドアを潜った。



居心地が悪い。
リリアンの制服はそれほど目立つようなものではないけれど、それはあくまで外観上のことだけだ。
それがリリアンの制服である、ということだけで周囲の視線を浴びることは覚悟しなければならないわけだけれども……病院の喫茶室では私の予想を上回る視線を集めてしまっていた。
目の前に置いてあるカップには3人とも手をつけていない。
恐らく自宅に戻れば最高級の豆を使って丁寧に淹れられた珈琲が待っている祥子さまと1年生にとって、喫茶店で注文することは飲むことが目的ではなくてその場を占める言い訳料のようなものなのだろう。
もちろん私はそんなわけではないけれど、やはり今、手をつける気にはなれなかった。
「おばあさまとの約束なのよ。だから今祐巳にこのことを教えるわけにはいかないの」
がっかりした。
お金持ちというのはこれほどまでに傲慢で自分勝手な人種なのかと思った。
「祐巳さまが勝手に誤解していらっしゃるだけですわ。祥子お姉さまに落ち度はありません」
おまえはちょっと黙ってろ、そういいかけた言葉を寸前で飲み込む。
今はこの二人の言い訳を聞いてやろう、そんな気分だったから。
「いいえ祐巳は悪くないわ、悪いのは……」
「祥子お姉さま!おばあさまとお会いできるのは最後……かも知れないんです。それなのに」
頭が痛くなってきた。
「でも、祐巳は許してくれるかしら」
「家族の事情を斟酌できなければ、それこそ妹として失格ですわ」
その事情とやらを祐巳さんには話したわけ?
約束だから話せない、でもきっとわかってくれる。
そんな都合のいい姉妹なんているのかしら。
万が一そんなことがまかり通ったとして……私なら遠慮したいわね、そんな姉妹制度なんて。
何でも分かり合えるなんて思ったら大間違いよ、お二人さん。
何も言わず何も伝えず。それでいて「きっとわかってくれる」。
祐巳さんだってただの女子高生なんだから、そんなにできているわけではない。そりゃあ確かに死ぬかもしれない、というよりはもうお迎えを待つだけのようだが、可愛がってくれた祖母のお見舞いにこうして毎日足を運んでいることは美談だし人として至極当たり前のことだと思う。
けれど、それをその祖母の頼みだからと言って祐巳さんに隠して不安にさせることの言い訳に使っているというのはどうだろう。
祖母の願いを守ることと妹を大事にすることと、どちらもを選択したのだったら貫き通して欲しいものだ。
それとも、片方だけを遵守して片方には後で説明してわかってもらえる、などと都合のいいことがまかり通ると思っているのがお嬢様たちの常識なのかしら。

言葉なり、態度なりで祐巳さんに優しくしてあげることが、どうしてできないのか。
彼女が不安に思っていることを知っていながら、どうしてその不安を解消してあげる努力を惜しむのか。
放課後にこうして病院に寄るのならば、どうして登校時間を合わせたり昼休みに会ってあげたりできないのか。
もちろんそれで祐巳さんの不安が解消するわけではない。疑問は残るだろう。
理由がはっきりしないから不安は深まるのであって、不安の高まりは猜疑心へと繋がっていく。
だからあえて祐巳さんに会わないというのも、確かにひとつの手段ではあるかも知れない。
ならば、必ず後で説明するから、とあえて会わないことを伝える方がいくらかマシだ。
原因不明が猜疑心を産むのならば、期限の不確定は諦念を生じさせるのだから。
何も言わなくてもわかる、そんな都合のいいお嬢様論理のために姉妹制度があるわけではないだろうに。
いや、もしかしたらその通りで、だから私は姉妹を作らないのかも知れない。
今まで見てきた姉妹制度から、そのことをどこかで理解していた、そうなのかも知れないのだ。
私は姉妹など作りたいと思わない。
姉や妹の都合のいい論理に振り回されるのは真っ平ごめんだ。
目の前で未だに罪悪感から自責の念を深める正真正銘のお嬢様と、他人の心を理解しようとする努力すらしない1年生の、薄っぺらい姿を見ながら私はようやく珈琲を口に運ぶ気になった。
すっかり冷め切ったそれは、それでも美味しいと感じた。





続く
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by rille | 2005-10-03 00:36 | まりみてSS

適量。 その2




※「その2」となっていますが、『適量』を読まなくてもわかりますw



うらうらと暖かい陽射しが会議室に広がっている。
窓枠に乗せた腕を枕代わりに、その暖かさを堪能していた紅薔薇のつぼみは、少し前までは暑いとしか感じなかったけど、やっぱりこんな優しい太陽の方がいいな、と思いながら顔をあげると部屋へと視線を戻した。
特に決めることがなくて早い時間に終わってしまった会議の雰囲気をそのままに、何となくやることのない、だけどだらけているわけではなくて落ち着いた感じの空気が流れている。
お姉さまは文庫本を広げていらっしゃるし、その向かいで令さまと由乃さんが珍しく談笑している。
珍しく、というのは当然のことながら令さまについて言っているのではなくて、由乃さんが、なんだけれど。
志摩子さんは乃梨子ちゃんと一緒に流しに向かっている。
きっとみんなのお茶を淹れているのだろう。
乃梨子ちゃんが立ち上がった時、祐巳も手伝うと言ったのだけれどやんわりと志摩子さんに制されて、由乃さんにも視線で「姉妹の団欒を邪魔しないように」と言われたので、祐巳はこうしてその姿を窓際でぼんやりと眺めているわけだけれど。

もう1人、最近加わったある意味最強のメンバーは今日は用事できていない。
「平和だなあ」
「祐巳はずいぶんのんびりしているのね」
思わず口をついた言葉が祥子さまに聞きとがめられる。
とがめられると言ってもその口調は穏やかで。
文庫本からあげた目はとても優しい光を湛えて「仕方ないわね、祐巳は」と愛おしそうにこちらを見ているものだから、祐巳はちょっと気恥ずかしくなってしまった。
「だ、だってお姉さま……平和で穏やかで。こんな雰囲気っていいじゃないですか」
照れ隠しに早口になってしまったこともきっとお姉さまはお見通し。
くすり、と小さく笑うと祐巳に同調した。
「そうね。最近は大きな事件もないし。こんな日が続くといいわね」
「はい」
体育祭も文化祭も終わった。
由乃さん提案の、姉妹オーディションもまあまあ良好な結果を得た。
新聞部には新しい姉妹が誕生したし、他の人たちも手ごたえをつかんでくれたみたいで姉妹になるのは時間の問題というカップルも多い。
剣道部の試合と江利子さまとの賭けがいい方向に動いてくれたみたいで、由乃さんにも妹の目処がたった。
……まあ、今年は無理なんだけど。

「ほんと、いい季節になったわね」
ふ、と陽射しに目を細めながら祥子さまが言う。
それにあわせて祐巳も視線を窓の外に戻した。
中庭の木々は一部が色づき、太陽が夏よりも低い。
薄い膜のかかったような白い光が、秋の深まりを感じさせる。
遠くから微かに聞こえてくるあれは、テニス部だろうか。
わかるわけがないのだけれど、何となく桂さんの声が聞こえないかなと祐巳は耳を澄ませた。

のんびりとした秋の一日。

「あら?」
令さまの声に振り返ると、志摩子さんと乃梨子ちゃんがお茶を配り始めたところだった。
「どうかしたんですか、令さま?」
祐巳の呼びかけには乃梨子ちゃんが答えてくれた。
「今日は緑茶にしてみたんです。いいお茶が手に入ったもので」
「えっ?そうなの」
急いで椅子を戻し、テーブルにつく。
祥子さまが「まったくもう、落ち着きがないんだから祐巳は」と言うような目をしたけれど気にしていられない。
何と言っても緑茶だ。
定位置である祥子さまの隣につくと、まだかまだかと言った様子で目をきらきらさせながら乃梨子ちゃんを見つめる。
風邪でもひいたのかなと思うくらいに乃梨子ちゃんの頬が赤くなったような感じがするけど……それを見ているお姉さまや令さま由乃さん、志摩子さんまで険しい目つきになっているような気もするけど、今はそれどころじゃない。
「ど、どうぞ」
「ありがとう!乃梨子ちゃん」
予想以上の反応を返す祐巳に、乃梨子はさすがに困惑した。
単に家にお茶があったから持ってきて、たまには和風もいいわねなんて言いながら志摩子さんが羊羹を用意してくれて……
周囲も同様のようだ。
令さまは心配そうに祐巳を見ているし、祥子さまは怪訝な様子。
由乃さんと志摩子さんは何事?という感じ。
そんな周囲の目を他所に、志摩子さんが配っている羊羹にも一際目を輝かせる祐巳。
「うわ、羊羹、ようか~ん」
「あ、あの祐巳さん?」
「祐巳ちゃん?」
あまりの変わりように目を白黒させつつ志摩子が、そして湯のみに伸びかけた手を止めた令が尋ねる。
「あの、祐巳さまはどうしたんでしょう。そんなに緑茶がお好きだったんですか?」
「私に聞かないでよ。く、私としたことが祐巳さんの好きなものの把握もできていなかったなんて」
同じく戸惑いつつ由乃に話しかける乃梨子に、悔しいったらしょうがないという感じで由乃が答える。
甘いものが好きなのは、例のあの缶入りしるこの件でわかっていたが、お茶もだとは。
「あー!!」
「な、何、どうしたの祐巳っ?!」
注意するのも忘れて唖然としていた祥子が、はっとして祐巳を見る。
「こ、これは……」
羊羹を口にした祐巳がわなわなと震えていた。
「ど、どうしたの祐巳さん?!お父様が頂いてきたのが多かったので持ってきたのだけれど……もしかしてお口に合わなかった?」
驚いた志摩子が恐る恐る、祐巳の顔を覗き込むようにして尋ねる。
その横で乃梨子が、いつでもお茶のおかわりを口直しにできるよう、急須を持ってスタンバイ。
令も由乃も、心配そうに駆け寄る。

が。

「こ、これは……相模屋の水羊羹んーー!!」

「はい?」
「た、確かにそうだけれど……」
「それがどうかして?祐巳ちゃん」
叫ぶ祐巳に、一同は心配そうな声をかけるが、祐巳の叫びは喜びの雄叫びだった。
「相模屋の水羊羹ーー!!これって、ほんとに瑞々しいんだよねっほんとに水みたいなのっ!」
よほどお気に入りらしい。

「でも、でもでもでもっ!家じゃ誰も甘いもの食べないからなかなか買ってくれなくてー」
「うあーん、おいしいよー」
「お姉さま、ほんとに美味しいんですよ!」
「ありがとう、ありがとう志摩子さん!」
「やっぱ羊羹には緑茶だよねー。もう乃梨子ちゃんったら気が利きすぎー」

叫びつつ食べ、かつ飲む。
おしとやかなリリアン生徒、しかもその生徒たちの模範であるべき山百合会メンバー、更にその中でも抜群の人気を誇る学園のアイドル、紅薔薇のつぼみのイメージはかけらも残っていない。
呆気にとられていた中で、なんとか祥子が再起動。
周囲を見回してみると、手を握ってお礼を言われた志摩子と乃梨子は真っ赤な顔して逝っちゃってるし、令は「和菓子……確かあの本棚に……」とぶつくさ言ってるし、「お父さんが京都に行くって言ってたわね……最高級の熟成5年ものの玉露を……」と父親に数万円する玉露を買ってこさせようと決意する由乃の姿。
「ま、負けてなるものですか!」
がば、と勢いよく鞄から何かを取り出すと、
ピッポッパッ
「あ、お父様。今すぐ舞妓の茶、最高級の匠を取り寄せてください。それから……」





「うーん……」
「どうしたのよ、祐巳さん」
「あ、蔦子さん。何かね、この一週間ずっと緑茶と羊羹だったから、ちょっと……」
「薔薇の館で?」
「うん。この間、相模屋の水羊羹と緑茶が出た時からなぜかずっと」
「まあ幾ら祐巳さんが和菓子党だと言っても、毎日それじゃきついわね」
「そうなんだけど。みんな、私のためにって用意してくれたみたいだから悪くって」
「でも、大丈夫じゃないかな」
「え?」
「祐巳さんー、お客様よ」
「ほら、ね」
「あ……」





「はい、どうぞ」
「ありがとう。は~、久しぶりの紅茶はいいね」
「皆さん、程度を知りませんからね。そろそろ辛いんじゃないかと思って」
「んー、さすが。よくわかってくれて、嬉しいよ、笙子」
「私はいつでもお姉さまのことを考えてますから」





「あら、どうしたの蔦子さん。にやにやして」
「桂さん。久しぶりね」
「……なんか、凄く痛い言葉を言われたような気が」
「人のことにやついてるとか言うからよ。ま、ほらあそこ見てよ」
「あら?祐巳さんに……笙子さんね」
「そ。幸せそうな姉妹だな、と思って」
「まあね。でもあんなところで紅茶を飲んでるなんて珍しいわね」
「うーん。まあ、何事も適量が一番ってことかな」
「なに、それ?」
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by rille | 2005-08-15 00:24 | まりみてSS