Let me love you


その1はこちらからどうぞ



私には祐巳さんの笑顔だけである。
それはどんな質問に対しての答えなのか、と聞かれれば「自分の存在について」と答えるだろう。
そう、私が存在するに足りる理由とは、祐巳さんが笑っていてくれること。
笑っていなくてもいい。
祐巳さんがそこにいれば、傷つかなければそれでいいのだ。
どうして、いつからなどという疑問は抱いたことがない。なぜなら人を好きになることに対して、それほど無意味な質問はないから。
「蔦子さまはどうなさるおつもりですか」
「そうねぇ……って、心臓に悪い登場の仕方はやめなさいってば」
ひと気のない温室、そこに突然響いた私以外の声は、
「笙子ちゃん」
「すみません」
苦笑しながら私の隣に腰を下ろす。
「それで、どうするってのは何?」
「言葉の通りですが」
しれっと言い切る彼女だって、内心は穏やかでないに決まっている。
それよりも問題なのは、
「どこで聞いたの」
「先月、病院で。叔父が入院しているんですよ、そのお見舞いに行ったらちょうど蔦子さまたちが見えたので」
「盗み聞きは感心しないなあ」
「たまたま聞こえてきただけです」
「たまたま、ね」
「はい。たまたま、です」
まあ、そういうことにしておこう、と思う。
実際の話、笙子ちゃんがどういう経緯で聞いたのかは問題ではないのだから。
問題は、先月のあの時以降の祐巳さんにある。
「それにしても、意外なことになりましたね」
意外なこと。
それは私の手元にあるリリアンかわら版号外が知らせてくれている。

『紅薔薇姉妹、破局』

視線だけをその文字に流して、笙子ちゃんは呟くように言った。
「予想はしていましたが」
「まさか現実になるとは、ね。しかもその結果はまさしく私の予想の斜め上を行ってるわ」
「そうならないように蔦子さまが動かれると思っていました」
その口調に非難はない。
祥子さまの事情を知って、それでも私が祐巳さんに何かしらのアクションを起こさないことを知っていたかのようだった。
「私はね、祐巳さんが一番なのよ」
わかっている、というように頷く。
それだけを見て私は話を続けた。
「だけど、それは私が祐巳さんに何でもかんでも口を出すということではないわ。私にとっての祐巳さんが一番である理由は、どんな状態からでも自力で抜け出せる強さと私が介在しないことによる彼女自身の輝きが問題なんだから」
「蔦子さまがそこに入っては祐巳さまの輝きが失われる、とでも?」
今度の彼女の口調には、わずかばかりの非難が含まれていた。
私は苦笑すると、
「そうじゃないわ。私以外の誰でも同じこと。祐巳さんは……そう、志摩子さんや他の薔薇さま方と違って外見が目立つわけじゃないけれど、内面から溢れ出る輝きで満ちている。それは自分を照らすものではなくて、他人を照らすもの。だから、祐巳さんに私自身が介入してしまうと私までが祐巳さんに巻き込まれてしまうもの」
「巻き込まれてはいけないんですか」
「そうね、少なくとも私は」
「どう」
どうして、と開きかけた口を制して、
「私も誰かに祐巳さんを支えてもらいたいと思っている。だけどそれは私じゃないの。私は祐巳さんを眺めていたいし、誰かが客観的に眺めていないと必要なときに必要なものを祐巳さんに差し出してあげられないから」
「なるほど……佐藤聖さまをけしかけたのも、水野蓉子さまを連れていらしたのも」
「さあ?何のことかしら」
惚ける私に、笙子ちゃんは笑った。
「まあ、いいです。蔦子さまが祐巳さまを想ってらっしゃることがわかっただけでも」



ただ、事態はそれで収まりはしなかった。
夏休み直前、どたばたとやってきた真美さんは写真部のドアを乱暴に開けると言い放った。
「蔦子さんっ!これ、どういうこと?!」
「淑女らしくないわよ。ていうか、第一声がそれ?」
「それどころじゃ……っ!」
何を思ったか、外に出てドアを閉めると、ノック3回を2セット。
それから静かにドアを開けて、
「ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう。何もそこまでしなくても」
苦笑する私に、彼女はぶすっとしたまま返す。
「蔦子さんに淑女云々を言われたくなかったんだもの」
そう言うと、私の前につかつかと歩み寄り手にした紙切れ……恐らく誰か新聞部員のメモなのだろうが、それをひらひらとさせながら詰め寄ってきた。
さっき折角おしとやかに入室し直したのが台無しだってば。
「それより、これは事実なわけ?」
「なにが?」
「これよ、これ。さっきうちの部員が拾ってきたネタなんだけど、『紅薔薇さま両立』、さあ、どういうことか説明して!」
「説明してって言われても。情報は新聞部が一番早いことが自慢じゃなかったの、真美さん」
「紅薔薇一家以外ではね。幾ら私だって祐巳さん絡みのことで蔦子さんより情報が早いだなんて思ってないわよ」
「そうは言われてもね」
言いながらメモに目を走らせる。
<紅薔薇さま両立・残留は祐巳さま、正式な選挙×・名目上変更は不可・未だ祐巳さまは祥子さまを?・松平沈黙・山百合会の総意で残留決定・本人へ>
よく調べたものだ、感心する。
「これは誰が?」
「日出実、うちの1年生。それはいいから!」
「なるほど、立派な後継者が育ってて羨ましいわ。うちなんて2年も1年も2人ずつだしね」
「蔦子さん!」
「はいはい、わかってます」
正直、触れたい話題ではない。
けれどもこのままでは収まりがつかないだろうし、真美さんに話しておけば新聞部は抑えてくれるだろうから、祐巳さんがそこからの不躾な質問攻めに会うことはないだろう。三奈子さまなら引退していても関係なく首を突っ込んできそうな話題だが、それも真美さんが留めてくれるだろうし。
結局、次善策として真美さんに知っておいてもらう方がいいような気がする。
「書いてある以上の情報は知らないわ」
空いている席に座るよう視線で促すと、真美さんは大人しく従った。
「あれから祐巳さんのおかげで祥子さまが立ち直ったのは知っているでしょう?」
「もちろん。前以上に姉妹の仲が深まったことだって」
「それが間違い」
「え?」
きょとんとする真美さんの表情はなかなか見られるものではない。
少しだけおかしくなって思わず表情に出すと、今度は真美さんの表情が硬くなった。
慌てて話題を戻す。
「志摩子さんや由乃さんは気付いていたみたいだったけどね。祐巳さんがどんな想いをしたと思う?祥子さまがどれだけ沈んでいようとそれは自業自得。そんなことでほだされるほど祐巳さんは甘くないわよ。蓉子さまのお願いもあったし、校内を騒がせることを避けたかったから表面上、祥子さまや松平瞳子さんとすら仲良くしてみせただけ」
「そんな……」
「そんな、なに?」
「祐巳さんはそんな冷たい人じゃ」
「ない、とでも言うわけ?あなたが?なら真美さん、あなたは1学期の間ずっと一緒にいて何も祐巳さんのことをわかっていなかった、ということね」
つい口調が厳しくなってしまった。
荒げた声に、真美さんの体がびくっと反応する。
「ご、ごめんなさい……」
「……私の方こそ、ごめん。でもね、何も言わずにわかってくれなんて、虫のいい話でしょう」
「それはそうね。でも、どう見ても」
「うん、祐巳さんは変わらなかった。以前よりも祥子さまと仲良くしているように見えた。そう、ただそういう風に見せていただけ」
笙子ちゃんはより深くわかっていた。
見せていた、だけでなくその深くに隠していた傷さえも。
笑顔の裏で、常に祐巳さんが涙を流していたことさえも。
「でも、志摩子さんと由乃さんが許せなかった。あの二人は祐巳さんを悲しませるもの全てを許せないから。だから山百合会には祐巳さんが必要だと判断した」
あれから、祥子さまは薔薇の館に顔を出していない。
過労と栄養不足がたたって、登校はしているものの山百合会の仕事はパスさせてもらって授業が終わるとすぐに松平瞳子と迎えの車で帰宅している。
いつかは体調も戻って復帰できるのだろうけれど、その前に彼女たちが動いたのだ。
「だけど、正式な選挙を経ているのはあくまでも祥子さまだから、紅薔薇さまの称号は彼女のために存在している。祐巳さんはあくまでも紅薔薇のつぼみ、姉妹を解消したわけではないし……まあそもそもそんなことは祥子さまが許さないだろうけれど」
「祐巳さんは?」
「さあ、どうかしらね」
「わかっているんでしょう、蔦子さん」
じろり、と睨まれるが私は白を切りとおすことにした。

そう、わかっている。
他人を完全に理解することが不可能であることを知っていて、だからこそ祐巳さんの理解者であろうともう10年以上も努力しているのだ。
祐巳さんがロザリオを返さない、そんなことくらいわかっている。
でも、だから辛い。
これ以上祐巳さんが傷つくのをただ傍観していることが。
それでも今の祐巳さんに必要なのは私ではないことを知っているから、そう、そうやってわかったようなことを言いながら自分が触れることによってこれ以上祐巳さんを傷つけてしまう可能性を回避している、卑怯な自分を憎みながら、それでも動けずに立ちすくむだけの自分が。
私なんかよりも、ずっと志摩子さんや由乃さんの方が祐巳さんの支えになっている。
祐巳さんがどう思っていようと、少なくとも行動としては祐巳さんを少しでも明るい、以前の山百合会に関係する前の祐巳さんに戻そうとしてくれている。
彼女たちはそうすることによって祐巳さんを傷つけてしまうかどうか、そこまで考えているわけではないだろうけれど、掛け値なしの善意を受けて、結果がどうあれ祐巳さんがそういった行為を嬉しく思わないはずがない。
だから私は卑怯だ。

「蔦子さん。祐巳さんはどうなるの」
それこそ新聞部のあなたの方が予測は立てやすいんじゃないの、そう思ったけれど今の真美さんは珍しく混乱していて情報をインテリジェンスにまで昇華させることはできそうになかった。
「次の選挙に出なければ、一般の生徒に戻るだけね。姉妹については……そうね、どうせ明日には祥子さまの耳に入るだろうけど、松平瞳子が何かしら動くでしょ。解消はしないと思うけどね」
「それなら」
「ただそれだけ、よ」
「それだけってR30;…」
絶句する真美さんに、けれど私はごく当たり前のように言葉を続ける。
「それだけ。志摩子さんたちはどうやっても選挙に出させようとするでしょうし、祐巳さんがそれを断りきれるとは思えないから、来年には紅薔薇さまにはなっているんじゃないかしら」
予測を言うことはあまり私の主義ではないんだけれど、真美さんも大事な友人のひとり。
新聞部のネタを提供するわけではなくて、混乱している真美さんに考える時間を与える意味もあってとりあえず私は予想されることを淡々と続けた。
「妹を作らない、というのはきっと、こういうことを予想していたんだと思う。祐巳さんが自分の妹に対して同じことをするとは思えないけれど、万が一ということを考えたんでしょうね。だからマリア祭の時に言っていたのも本音だと思うわよ。それに……」
ちら、と壁に視線を流す。
つられたように真美さんも同じ場所を見て、表情を変えた。
「祐巳さんは……」
「うん。祥子さまのことを嫌ってはいないわ。信じてはいないでしょうけど」





†二学期†

休みの間考えていたのは、祐巳さまのこと。
蔦子さまに指摘されるまでもなく、あのヴァレンタインイベントに忍び込んだ時から……いや、そのずっと前から私の目は祐巳さまを追っていたのだと思う。
自覚していたかどうかはわからないけれど。

『あ、祐巳さま。ごきげんよう』
『うん、ごきげんよう』

覚えているかどうか、それはわからない。
けれど私は祐巳さまにだいぶ前に会っているのだ。

『おはよーございます』
『おはよー』

初等部の頃から。
はっきりと自覚したのは高等部に入ってから。
私の目は蔦子さまを探しているようで、実際のところは同じクラスの祐巳さまを追っていた。
『笙子さんって、紅薔薇のつぼみのファンなのね』
『そう?別に誰のファンとかはないと思うのだけれど』
『そうだったの、ごめんなさいね。いつも祐巳さまを見ていらっしゃるようだったから』
『あ、それは……ちょっと。祐巳さまと同じクラスの、ほら武嶋蔦子さまを見ていたから』
『蔦子さまを?』
『ええ。ちょっとした知り合いというか』
『……そうかしら?私には祐巳さまを見ているように見えたのだけれど……だってほら、今だって2年松組のお姉さま方』
『え?』
『蔦子さまは前の方で写真を撮っていらっしゃるけれど、笙子さんは列の中、祐巳さまの方を』
『……あ』

まいったなあ。
それは本音だった。
実を言えばこんなに嵌ってしまうとは思っていなかったから。
初等部の頃から知ってはいたけれど、たまに挨拶を交す程度の、ただの同じ学校の生徒であるという認識でしかなかった。少なくとも祐巳さまの認識ではそうだったろう。
ヴァレンタインのイベントであの人なつっこくて愛らしい表情の方が、紅薔薇のつぼみの妹として参加しているのを見て、ああ、あの人の魅力に気付く人もいたんだな、と少しだけ寂しく感じたことは覚えている。
その頃はまだ祐巳さまも溌剌としていらして、昔のままの笑顔を元気に振りまいていたから、そのこと自体は祐巳さまにいい影響を与えたんだと思って嬉しくも思っていたのだけれど。
高等部のマリア祭で見かけた瞬間に何かがあったんだと気付いた。
みんなが茶番劇の余韻で浮かれている中、あの方だけは寂しげな表情でぽつんと取り残されていた。
いや、祐巳さま自身がその喧騒から身を離していたと言った方がいいだろう。
その日は体調でも崩されているのか、そう思ったけれど、マリア様の前で祐巳さまの表情に浮かんだ翳りに気付いてしまったから。
だから私はもう祐巳さまから目を離せなくなってしまった。
あんなに元気で明るく、気付かないうちに私の視線を吸い込んでいった笑顔に浮かんだ、暗い影。
原因はわからなかったけれど、そうさせた何かを私は許すことができなかった。
自分自身、そこまで祐巳さまに惹かれていることに気がついて、呆然としてしまったけれど。

「そうでしょうね。祐巳さんってば、知らない間に人をたらしこむんだから」
「つ、蔦子さま……その表現はちょっと」
「あはは、ちょっとリリアン生らしくなかったかな」
「ちょっとどころではありませんけどね」
蔦子さまも恐らくそのうちの一人なのだろう。
そして白薔薇さまや黄薔薇のつぼみ、そして紅薔薇さまだってそうに違いない。
「それにしても意外だったわね」
「……はい。でも、紅薔薇さまのやられたことはともかくとして、あの方もやっぱり祐巳さまのことを好きでいらしたんですね」
「そりゃそうでしょうね。祥子さまの祐巳さん溺愛ぶりは他の姉妹に引けを取らないほどだったもの。ただ、だからと言ってやったことが許されるわけではないし、いえ、だからこそ許されないことなんだけれど」
蝉の鳴き声も遠くなってきた。
今年は秋が早いのかも知れない。
夏休みは終わったばかりだというのに、心持ち涼しくなった風が吹き抜け、太陽は低く私たちを照らしている。
「姉妹って、何でしょうね」
ふ、とそんな疑問が口をついて出た。
「さあ。私は姉妹を作らない主義だから……どうかしらね」
「紅薔薇さまはどうして祐巳さまを離さないんでしょう」
「山百合会という拠り所をなくしてしまった以上、あの方を繋ぎとめる絆は、もう祐巳さんにしかないからじゃないかしら」
「松平瞳子さんがいますが」
「……レベルが違うわね」
私の疑問に、次々と簡潔に答えていく蔦子さまだが、その答えがほんとうに的を射ているかどうかは私には判断できなかったし、それは蔦子さま本人も同じなのではないだろうか。
疑問を出していく私自身も、いったい何が知りたいのか、わからなくなってきた。

遠くで蝉の鳴き声。
涼しい風。
伸び始めた影を見つめながら、きっと蔦子さまも祐巳さまのことを考えている。
「笙子ちゃんは、祐巳さんを諦められないのね」
突然、蔦子さまが口を開く。
私は黙っていた。
「祐巳さんがマリア祭の後言った……『妹を作らない』、気になっている」
否定はしない。けれど肯定もしない。
それは私にもわからないことだったから。
祐巳さまのその言葉が怖いのか、それとも自分が祐巳さまに不要であると知ってしまうのが怖いのかわからなかった。
「けれど、誰かが祐巳さんの傍にいてあげないと、このままではいけないとも思っている」
「それは私ではないかも知れません。白薔薇さまや黄薔薇のつぼみもいらっしゃいます」
「それが本心?」
「………………………………いいえ」

一瞬だけ、蝉の声が止んだ。

「それで、諦めるの?」

そんなこと。

「紅薔薇のつぼみは、ほんとうは弱い方だから」
そんなこと、できるわけがない。
私はあの人を大好きで。
あの人がどんなに頑張っていても、周りの人たちを元気付けたり明るくしたり頑張ろうという気にさせたりできても、あの人自身が少しずつ壊れていくのをただ見ていることなんて。
妹にはなれないかも知れない。
支えてあげられないかも知れない。
この人には自分がいなくては、そう思えるほど傲慢でもない。
けれど。

「ただ傍にいて、あの人の痛みを少しでも代わってあげられることができるのなら」

私は、どんな苦痛にも耐えられるだろう。





続く
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by rille | 2005-10-03 00:36 | まりみてSS
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