おたがいさま。




風が木々を揺らしている。
枝鳴りは穏やかで心地よい響きを含んで、祐巳の耳元に届く。
足元で落ち葉が軽い音を立て、色づいた公孫樹に挟まれたこの先の道がとてもきれいだった。
赤と黄色で染められた天蓋の隙間から青が零れて、祐巳の足元で落ち葉の茶色と溶け合って消える。


「きれいですね」
正門へ向かう道、マリア様に手を合わせた直後から、祐巳の口をついて出るのはこればかりだった。
まだ夕焼けには遠く、放課後と言うにも明るすぎて何となく似合わない気がする土曜日の昼下がり。
並んだもうひとつの人影は、そんな祐巳に柔らかな秋の陽射しを感じながら微笑むと、こちらもまた同じ言葉を繰り返した。
「そうね」





特に議題のなかった今日の集まりは、2,3の確認事項で終わってしまった。
いつものようにお茶の時間にしようと、祐巳たち1年生が立ち上がったところで声をかけてきたのは紅薔薇さまだった。
『祐巳ちゃん、今日は私と一緒に帰らない?』
『お姉さま?』
真っ先に反応したのは当然のように祥子で。
その場にいた他のメンバーも顔を見合わせた。
『あらなに、祥子?』
『私が一緒ではいけないのですか?』
不審気に、けれど姉であり紅薔薇さまでもある蓉子に強い口調はできず、控えめながらも尋ねる祥子に苦笑を見せると、
『そういうわけではないけれど。たまには私から誘ってみてもいいでしょう?それに、祥子にはこの後の打合せもあるはずよ』
『あ……』
『忘れてたの、祥子?』
蕾だけでの打合せがあることを、どうやら失念していたらしい祥子に、令が問う。
『わ、忘れてはいないわよ』
『……忘れてましたね』
『ええ、そうね』
『完全に忘れてたね』
『祐巳さんのことが出た瞬間に、でしょうね』
抗弁する祥子に情け容赦のない指摘が、志摩子、江利子、聖、由乃の順で浴びせられる。
さすがにむすっとした様子に祐巳が慌てて、
『あ、あのっお姉さま、明日の待ち合わせは10時で宜しいですか?』
明日のデートの約束時間で話を逸らす。
途端に相好を崩して優しい笑みを向ける。
『いいわよ、祐巳。ちゃんとどこへ行きたいか考えておきなさいね』
祐巳とのデートを思うだけで機嫌が垂直上昇する祥子に、やれやれと言った様子で苦笑する山百合会幹部たち。
それでも、そんな姉妹を見るのが好きで。
祐巳の動向ひとつで機嫌の指針が大幅に揺れる祥子に、そんな祥子に一生懸命ついていく子犬のような祐巳の姉妹は、結局彼女たちにとって清涼剤のひとつ、とも言えるのかも知れない。

『じゃあ、いいかしら、祐巳ちゃん?』
『あ、はい。紅薔薇さま』
常に祐巳を格好の暇つぶしとして付け狙う黄薔薇さまや、蓉子や江利子から見れば本気であることがばればれな白薔薇さま、何気なくお菓子で釣り上げようとする令に有無を言わせぬ強引さと勢いで祐巳を連れまわす由乃、そしてひっそりと誰にも気づかれないうちにいつの間にか祐巳と一緒に姿を消す志摩子、これらのメンバーに比べれば、姉ならば信頼がおける。
彼女たちが紅薔薇さまに逆らえるはずはない。
祥子も特に反対することなく、連れ立って先に帰っていく紅薔薇さまと祐巳を見送った。





「紅薔薇さま?」
「なに、祐巳ちゃん」
足元でしゃりしゃりと鳴る枯葉の音を聞きながら、横顔に尋ねる。
紅薔薇さまはゆっくりと歩きながら顔を向けることなく祐巳に聞き返した。
その横顔を見ながら、祐巳は言葉をかけたことを忘れてしまうほどに魅入られていた。
紅葉を背景に、しなやかな黒髪を肩口で切りそろえ、艶やかなストレートから端整な顔立ちが覗いている。
きれいな白で描かれた鼻梁から顎にかけての流線が紅葉からの反射で眩しく思えるのは、ただそれだけではないだろう。
祐巳はぼんやりと紅薔薇さまを見つめ、いつしか止まった足に自分でも気がつかなかった。
「祐巳ちゃん、祐巳ちゃん」
優しく肩を揺すられてはっと気づくと、目の前出紅薔薇さまがおかしそうな表情で祐巳を見つめている。
「あ、あのえーと……」
責めるわけでもなく、ただ穏やかに祐巳を見つめる紅薔薇さまの瞳に、却ってうろたえてしまう祐巳。
くすり、と笑うと、
「慌てなくてもいいわよ。ただ、何か言いたかったんじゃないの?」
「はい。そうなんですけど……その、忘れちゃって」
一瞬だけ目を見開いた紅薔薇さまは、けれどすぐに可笑しそうに笑い始める。
「ふふふ……祐巳ちゃんらしいわ。そういうところ」
「え?私らしい、って……」
間抜けなところが自分らしいのか、としょんぼりする祐巳に見透かしたような紅薔薇さまの声がかかる。
「そのままでいいのよ、祐巳ちゃんは。無理にしっかりしようとか、紅薔薇に相応しくあろうとかしなくっても。薔薇という称号が薔薇さまを作るのではなくて、その人に薔薇さまの称号がついてくるだけなんだから」
「えぇっと。それはその人がその人らしくあれば、自然と薔薇の称号がそういうイメージを持ち始める、ってことですか」
「そう。今は私が紅薔薇さま。祐巳ちゃんの紅薔薇さまのイメージは?」
問われて祐巳は即答する。
祥子さまの次に憧れていた方だ。
黄薔薇さまや白薔薇さまのイメージを尋ねられても困るが、紅薔薇さまなら幾らでもすぐに出てくる。
「完璧で、そつがなくて、気配りができて、いつも冷静で、どんな難問があっても解決策が出せて、とっても優しくて……」
「それくらいでいいわ」
右手を指折りながら視線を投げ上げて数える祐巳を、少し照れた様子でとめる。
「ちょっと恥ずかしいけれど……それは今の紅薔薇のイメージよね。じゃあ、来年、祥子が紅薔薇さまになったら、同じイメージが紅薔薇について回るのかしら?」
来年、という言葉に少しだけ反応した祐巳だったが、気を取り直してすぐに想像を始める。

完璧で……これはそのままだと思う。
むしろ、現紅薔薇さまより完璧になりそうな。

そつがなくて……これもまあ、当たってる。
でも。

気配りができて……特定の人間には凄い気の配りようだけど。
いつも冷静で……これは却って特定の人間以外には、になりそう。
どんな難問でも……祐巳が絡んでいれば、の話。
祐巳に無関係な問題には興味すらないだろう。
優しくて……言わずもがな。

うーん、と考え込んでしまった祐巳に、今度は次のイメージを描かせる。
「じゃあ、今度は黄薔薇さまはどう?」
「黄薔薇さまは、おで……えと、面白いものが大好きで」
「じゃあ、令は?」
「お姉さまをうまく宥めてくれて、由乃さんに頭があがらなくって……」
だいぶ失礼なことを言ってるような気もするが、紅薔薇さまの質問だからここは正直に思った通りを言った方がいいと思うから。
「最後。白薔薇さまはどうかしら?」
「えーと……セクハラおやじで抱きつき魔で、でも優しいです」
「後は志摩子ね」
「志摩子さんは、ふわふわしてて、お人形さんみたいで。でも、どこか油断できない感じがするというか……」
祐巳ちゃんも結構的確に捉えているのね、と思うがそれは口に出さないでおく。
「ほらね、みんな違うじゃない」
「そうですね」
やっぱり悩んでいたのね、この子は。
だけどこの会話で少しはその悩みも解決したようだ。
安心したような笑い顔を見せる祐巳を見て、紅薔薇さまもにっこりと微笑んだ。
「そうよ、だから祐巳ちゃんは祐巳ちゃんの薔薇を咲かせればいいの。無理に私や祥子のようになろうとする必要はまったくないのよ」
それに、と付け加えて、
「祐巳ちゃんがどんな薔薇さまになるのか、すごく楽しみだもの」
「そ、そうですか?」
「そうよ」
「薔薇というより紫陽花よね、って蔦子さんには言われたんですけど」
「紫陽花?どうして?」
「変わるから、だそうです」
少しだけふくれながらのあまりに短い祐巳の返答に、ぽかんとしていた紅薔薇さまだったが、すぐに気がついて笑い出す。
「やっぱり紅薔薇さまもそう思ってるんですね……」
とほほ、という表情でしょげる。
そんな様子も可愛いのだが、もちろん本人が気づくはずもなく。
ただ紅薔薇さまの楽しそうな笑い声が秋のリリアン学園に響いていた。





「紫陽花ね。確かに似合ってるわよ」
「そんなあ……」
納得いかなげな祐巳だが、紅薔薇さまは構わずに続ける。
「紫陽花の花言葉は、『元気な女性』『辛抱強い愛情』。祐巳ちゃんにぴったりよ。でな

ければあの祥子の妹になんかなれないもの」
そんな祐巳に、今の山百合会がどれだけ救われているかわからない。
が、それはそれとして、自分の妹にあんまりな評価の紅薔薇さまだが、その奥にしっかりとした愛情が宿っていることも祐巳はもちろん知っている。
「でもね」
一呼吸おいて、リリアンではあまり見かけないし、この季節ではもちろん咲きようもない紫陽花をどこかに求めるような目つきで眺める。
その先には黄色い公孫樹並木が続いている。
「ほんとうは『あづさい』って言われていたのよ」
「そうなんですか」
あづさい。
何か、変な名前だな、と思ったが、
「藍色が集まるから「集まる真藍」、「あつまるさあい」が変化した言葉なのね」
「凄いですね」
相変わらず博識な紅薔薇さまに驚嘆の声を上げる。
紅薔薇さまはそこで驚嘆されても、と少し困った顔をした。
本題はこれから。
「私は真藍を真逢いと置き換えてもいいかなって思うわ」
そう言いながら祐巳の手をとり、掌にその文字をなぞっていく。
手を走る紅薔薇さまの白く細い指がきれいで、そして少しだけくすぐったくて、祐巳は子供のような笑みを浮かべた。
「祐巳ちゃんとの出会いが山百合会を変えた。祐巳ちゃんがこなければ蔦子ちゃんとの繋がりもなく、ひいては新聞部とも今までのような硬い関係のままだったでしょう。祐巳ちゃんが出会いを引き込んでくれているような気がするわ」
「でも、私は何もしてません。援けてもらってばかりで。だから山百合会が変わったのは……」
そうね、とひとまず頷いて、
「だけど私が言ってるのは、他人との出会いに関してだけじゃないの」
「え?どういう……」
意味ですか、と言う言葉を祐巳は飲み込んだ。
紅薔薇さまの表情があまりにも穏やかで嬉しそうで。
何となく、簡単なことを聞いてはいけないという気がしたのだ。
だから紅薔薇さまも、その先のことは言わなかった。
「祐巳ちゃんは私たちに援けられていると思っているかも知れないけれど。それはお互いさまなのよ。私たちだって祐巳ちゃんのおかげでこうして笑っていられるのだから」
その笑顔はまるでマリア様のようだ、と祐巳は思った。





「さ、行きましょうか」
秋の日はつるべ落とし。
あまりのんびりしていると、直ぐに陽は西の町に沈んでしまう。
このまま2人で秋に埋もれていたいのはどちらも同じだけれど、名残惜しい時だからこそきっと強く思い出に残ることだから。
だから蓉子は祐巳の手をとった。
そのまま柔らかく包み込むと、落ち葉の中に足を踏み出す。

紅と黄、そしてその向こうに広がっている白い雲が、ちょうど3つの薔薇の色に思えて。
手を繋いだ2人が正門を潜るまで待っているかのように、太陽はその姿を中空に留めていた。





「へえ。蓉子も言うね」
「何でもお見通しって言うのは、ちょっと悔しいけれどね」
2人の後ろを、つかず離れず歩いていく薔薇さま2人。
「でもまあ、事実よね」
黄薔薇さまが指摘すると、
「まあ、ね。確かに祐巳ちゃんに出会わなかったら、私は過去の私自身に向き合うことはなかった」
呟くように言う白薔薇さまの声は、黄薔薇さまには届かなかった。

祥子も、由乃ちゃんもね。
そして恐らく、志摩子も。

そう続けて胸中で呟いた白薔薇さまを、黄薔薇さまは表情を変えずに眺めていた。





「でもね、白薔薇さま?」
「なに?」
「あなたは変わりすぎよ。祐巳ちゃんはあなただけのものじゃないんだからね、少しは自重しなさいよ」
「……せっかくきれいに決まったと思ったのに。このでこちんめ」
「……あら、何か言ったのかしら?外国人の言葉はよくわからないわ」
「……」
「……」
「私は祐巳ちゃんとだけ出会いたかったわ。特に、こーんなでこちんなんかとは出会わなくたって」
「それはお互いさまよ」
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by rille | 2004-09-15 23:20 | まりみてSS
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